共同研究 転向 (中):平凡社

2025年8月20日

共同研究 転向 (中):平凡社:思想の科学研究会編 読了日:2018.12
・P193 鶴見俊輔
 日本の学界:学問の底につきあいがあり、自分がつきあいの及ばない人々しか反論は向けられない。日本の学問においては誰を自分のつきあいの相手として選ぶかにおいて重大な決定が行われてしまうことが多く、翼賛運動の中で不覚にも右傾していった学者は新聞雑誌記者、官僚、右翼団体役員とのつきあいを通して自分の理論を右寄りにしていった場合が多い。
・俺のメモ→社会党復活グループの言う「労農派」とは?
      山川均、荒畑寒村、櫛田民蔵、土屋喬雄、大内兵衛、向坂逸郎、宇野弘蔵→1937~38人民戦事件で検挙
 ⇔「講座派」:山田風太郎、平野義太郎、羽仁五郎、服部之総、山田勝次郎、大塚金之助=共産党→1936「コム・アカデミー事件」で検挙
・P376 労農派 山川均「不作為の転向」:吾々は妥協すべからざるものを妥協しないで済むために、妥協し得べきものを妥協するのである。
・P389 (労農派)堺や山川はレーニンを知る以前にカウツキーやローザルクセンブルグなどロシア的革命方式の批判者の立場を知っていた
 主流派の河上肇、片山潜:コミンテルンに賛成
・上海テーゼ:(大正14年、1925)
 1)君主制の廃止
 2)合法政党を樹立し、(ロシア共産)党のヘゲモニーの下に置くこと。←労農派は疑問を持つ
・軍事費増大、大衆課税の実施、物価騰貴を進めれば、人民戦線の形成される可能性も強い(風見章の意見にみられる:日本評論1936.8号)
・1937.12人民戦線事件により労農派、日本無産党、全評に属する400名余が検挙
・マルクスシズムに基づかぬ社会主義者を軽蔑する閉鎖性は労農派にも浸透していたのである。
・P404日本人民戦線は、ブルジョワ左派に属する政治家たる尾崎咢堂、田川大吉郎、斎藤隆夫らの線まで、リベラリストとしては馬場恒吾、清沢洌、菊池寛らをも包容すべきであった。にもかかわらず組織としての共産党、労農派、社大党のいずれにも、また人物においても、そのような包容力は存在せず、自派中心のセクショナリズムを打ち破ることができなかったのだ。しかし根元的な原因としては、なによりも日本におけるリベラリズムの伝統の不毛性に問題があったといわねばならぬであろう。
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