「異端の視点」変革と人間と、石堂清倫著
借りる、2018年末2019年始拾い読み.
まず基本的な用語の正確な意味が分からず、国語辞典で調べながら読書。
・ボリシェビキ?:「ロシア革命の一般化」
ドイツ革命で失敗(1921.3)
社会主義に接近する労働者政府、統一戦線
グラムシ「獄中ノート」
・コミンテルン?
「1919年に創立された共産主義政党の国際組織で、43年に解散。
共産主義インターナショナル Communist Internationalの略称。第3インターナショナル,第3インターとも呼ばれる。」
コミンテルンの方針
ジノヴィエフ(viで出る)⇒ブハーリン⇒スターリン
トロッキーの復権
グラムシ:東方(ロシア)は国家がすべて
西方(ヨーロッパ)は市民社会が発達
コミンテルン第7回大会(1935):人民戦線の理念
イタリア:もはや社共の提携では十分ではない。右派が中道と結んだら、反動政権が成立。中道に加わる社会層を一貫した民主主義勢力に引き寄せる必要がある。
・ブハーリン、ジノヴィエフ
・ゾルゲ、尾崎秀実の媒介者:アグネス・スメドレー
マーダー著「ドクターゾルゲ報告」
・「ヘーゲル法哲学批判序説」
・「中野重治の人と思想」
中野の天皇や朝鮮の評論「沓掛筆記:河出書房
転向は天皇制との妥協であった。(日本人共産主義者の)治安維持法による死刑宣告がなかったのはその結果であろう。
朝鮮や中国の共産主義者はたくさん死刑の宣告を受けている。妥協=戦争と植民地支配を認めること。自己の民族的生存を否認することのできない朝鮮と中国の人々には妥協の余地がない。
・古在由重編「現代マルクス=レーニン主義事典(1980年刊)
・転向についてー転向現象は佐野・鍋山に始まったのではなく、水野成夫が中心の解党派が先駆。福本主義全盛の論客が目立ち、インテリゲンツィア集団だった。
1)コミンテルンとの絶縁
2)天皇制礼賛
3)帝国主義戦争支持
・国民が天皇制イデオロギーに抱かれているような外観は何を意味したのか。今日まで十分に答えられていない。
・明治、大正まではマルクスの変革の方法に関する研究は存在しなかった。天皇制をどうするか。
・1925上海テーゼ、実践的な大衆運動はやりたがらないという日本の社会主義運動の弱点。
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石堂清倫さんの本は示唆に富むので、もっと読んでみよう。ドクターゾルゲ、尾崎秀実、スメドレーも気になる。
(本メモ追記)
・ゾルゲの報告:日本は皇室が存在していることが、一方においては反動派の有効な力になるけれども、他方においては国の意思決定ができるような一貫した勢力が下から出てくることを、政府として塞ぐ役割を果たしている。
戦前の貧しい農民が、自分たちの貧困の根源が日本帝国主義とくに戦争政策にあるということを自覚したなら軍と民衆は離れてしまう。
日本はこれまで国内の改革運動を、いつでも対外侵略に転換させることをやってきた。
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