社会党の解党に向けての論評など(1993~1995)
〇月刊刊金曜日1993.7.23号
P10 國広正雄 マスコミが煽ったエセ「改革」の行く先
・1993の総選挙で社会党は大敗北したが、護憲派との理由で党公認や推薦を得られなかった神戸市の岡崎宏美(兵庫1区)、岩垂寿喜男(神奈川2区)、小森龍邦(広島3区)、竹内猛(茨城3区)、秋葉忠利(広島1区)、今村修(青森1区)は勝ち抜いた。
・護憲、平和を旗頭にやってきた社会党はもう存在しない。現執行部の山花貞夫委員長と赤松広隆書記長は進退を考えるべきだ。
・日本新党は自民党予備軍だ。
〇月刊金曜日 1993.8.27号
P23高畠通敏 市民に背を向けた社会党の行く末
・社会党は解体への道を辿っている。今日の社会党が、完全に労組依存の政党というより労組の政治組織になってしまい、そこから脱出する意欲も能力もなくなっている。
・組合出身でない土井委員長の時代は、唯一の例外の時代だった。市民運動や女性運動に積極的な支持を得て、票は倍以上にふくらんだ。しかしそれによって党内のヘゲモニーを失い、また中道政党との連携がこわれることを恐れた山岸―田辺ラインによっていわば反動革命がおこなわれ、以前にまして組合べったりの体制が再建された。連合の指導部は総評時代の組合と違って、社会党の護憲平和の路線を転換させ、民社や保守新党とのラインに統一させようと決定的な機会を窺い続けたのである。現在の事態はその産物でしかない。
〇週刊金曜日 1994.4.22 第23号
移行期の「政権」を考える 細川連立政権の意味と日本政治の行方 篠原一 石川真澄
P14社会党はどうなるのか
石川:理論・路線などを正しく社会民主主義に切り替えるという困難な作業が必要だった。「国境を超える社会民主主義」なんていう言葉は、ドイツのラ・フォンテーヌなんかが書いたりしているのですから方向はつかみとれたはずです。
P15 篠原:思想と理念のほうがより重要です。政治の潮流が、まず保守、改革保守があって、次にリベラルなもの、さらに社会民主主義というのが大きな流れとすれば、ぼくは社会民主主義の可能性はあると思う。社会主義が崩壊して、資本主義の市場原理だけが通ってしまっている。一番の課題は国内、国際政治にわたって社会的公正という概念を生かすことでしょう。
P16資本主義的な競争原理に対する強烈な対抗原理をつくっていくことです。
今まで社会主義が崩壊して資本主義が崩壊しなかったのは、資本主義の中に社会民主勢力があったから。反対勢力がなかったから社会主義は崩壊した。
保守と広義の左翼の真ん中で考えているリベラルというのはいまないんで、そこが問題。資本主義社会をコントロールするという立場から、別の意味でリベラルは大切な政治勢力だと思う。
〇週刊金曜日1994.4.29 第24号
シンポジウム「広島発、市民派宣言」報告 横田一
市民派「新党」は芽生えるか!?
秋葉忠利、栗原君子(参院広島)、小森龍邦、大渕絹子(参院新潟)、金田誠一(衆院北海道3区)
P54金田:怖いのは労組の選別、推してもらえなくなること。小選挙区が導入されると、おかしなことを言うと連立与党の統一候補からはじかれる。社会党の今の状況は、支えている労組の側にあるかもしれない。
秋葉:「社会党は死に体である」ことはほとんどの人が一致。党の中にエネルギーがなく、党外にも大きな爆発的な力をもつエネルギーもない。4月5日に「太陽」という政策ステージを旗揚げする。青票を入れた人たちが中心になって社会党内で道を探っていく。
栗原:物差しとしては、護憲か改憲かがあるのではないか。
会場 山田達也(新潟市議):ローカル・パーティ(地域政党)をつくろうと、地元新潟の仲間で考えが煮詰まってきている。県で動きをつくってほしい。国政で市民派候補者をつくることにつながっていくのではないか。
・広島県の社会党は中央に対して闘ってきた。栗原選挙での時も、PKOにノーの議員を出そうと、抜き打ち的に栗原さんの出馬声明を出して、中央の支援なしに闘って、栗原さんを国会へ送った。山岸路線に社会党員や市民派が納得できるはずがない。秋葉選挙でも連合の支援を受けないで当選を勝ち取った。しかし並立制導入が決まった今、市民派国会議員をどうやって送り出せばよいか。
・ 市民秘書制度:市民が政治に参加する一つの形。市民が秘書になり手に入りにくい資料を役人が集めてくれる
・ 市民派政治ネットワークの旗揚げが呼びかけられた
〇週刊金曜日1994.5.13 25号
・細川退陣、羽田首相指名。1994.426未明、村山富市委員長の政権離脱宣言
P58妥協そして離脱 苦悩する社会党 伊東秀子
・ 他党と妥協する場合には、妥協の過程を国民に示し、政策決定過程におけるチェック・アンド・バランスの働きを保つこと。
・政策集団デモクラッツは「党にとって政策調整不調を理由に政権を離脱する選択はありえない、すべきでない」と申し入れ。政権への執着でしかない。
・政権執着組は、政治改革で青票を入れた議員(多くは政策集団「太陽」に結集)の処分を叫び、敵視し続けた。
・社会党は組合に乗っかって選挙をやってきたため、議員の自立性が弱い。社会党は自立した議員と市民とのネットワークの党であり、市民の政策要求を吸収しながら党の政策を作り上げ、市民の政治参加を実現する市民政党にならなければならない。
〇週刊金曜日1994.7.8 33号
P6 金子勝 自民党の政権奪回に手を貸した社会党
・アメリカと日本の大企業の利益を最優先する政治を行う、2つの大きな保守勢力が形成されたのが、細川連立政権以来の政局の歴史的意義である。村山連立政権の成立は、2つの保守勢力による政権交代を可能にする基盤を作り出した。
・仮に小選挙区比例代表並立制で総選挙が行われるならば、総保守によるアメリカと財界の翼賛議会・翼賛政権への道がつくられる。アメリカと財界、自民党、社会党、旧連立与党、連合、官僚、マスメディアの8大勢力による反対意見抹殺の総がかり体制ができることを意味する。
・(日本型ファシズムへの道)国民主権のもとでは、政府は主権者国民に約束しないこ
とは絶対にしてはいけないのが、政治の原理である。そうでないと、国民は選挙のときだけ主権者で、その後は奴隷と同じになる。
[以下、更新中]
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