野球部全国優勝と神戸一中 気質

iimg877.jpg

iimg879.jpgiimg878.jpg100回大会を見るにつけ、一中の伝統を感じる今日この頃。野球部九十年史の本を繙き、大正8年優勝時のエピソードを再読しました。
P35 第五回 地元兵庫の初優勝
場内一周を断る
 神戸一中は「われわれは見せ物ではない」とこれを断った。
 当時の主将来田氏はのちに「ただ母校のためにやっただけなのだ、という気概を示したのだが、まあ若かったのですね」と述懐している。
P36来田氏の話
 私が最上級の5年生の時だった。”新進神戸一中”と当時の朝日新聞は、新進ということを強く打ち出したが、われわれは内心大いに不服だった。なるほど全国大会には初出場だったが、神戸一中の野球部は明治29年の学校創設の年から剣道部、ボート部とともに誕生、すでに20年の伝統を持ち、兵庫県では関学中、神戸二中、神戸商と常に競り合っていた。(中略)いまでは優勝旗を持って場内を一周するのが一つの行事になっているが、あの年のわれわれは「何も見せものじゃないんだ。われわれは母校の名誉のためにがんばっただけだ」と場内一周を断った。それが当時の一中生カタギで、われわれも若かった。
P82 一中気質
 ゲームの後は、表彰式。晴れの大優勝旗を手にした来田は、主催者側から頼まれた場内一周の行進をあっさり蹴り、ナインを引きつれてサッサッとダッグアウトへ。
「もうあれ以上、衆人の”見世物”にはなりたくなかった。ナインも疲れていたし、休養だけがほしかったから」(中略)
 当時捕手の石関は、「あのころは場内一周なんて一般化しておらず、とくに奇異にも思わなかったですよ。それにしても最近は優勝パレードなど派手すぎて、あまり関心しませんな」とお祭り騒ぎの高校野球にチクリ。
ーー(以上引用終わり)
「KOBE MS」の気概には思わず背筋が伸びてしまう。神高生もぜひ一中カタギをDNAとして、いつの日か「KOBE HS」の復活を期したいものです。

一中