6.11『戦争やめて 北千里駅前 スタンディング 』

2025年9月12日

64577 - コピー6.11で89回!高齢女性が財布から1000円札を出しながら近づいて来られました。「ここ通るとき見てるんだけどね」と。今までは 見てるだけだったけれど 今日は立ち止まってカンパまでくださり 嬉しかったです。「もしよければ」と手作りワッペンをお渡しすると「どこにつけようかな?」とつぶやいてはりました。
 夕方なので 駅に電車が着くごとにどっと大勢の人が私たちの前を通って行かれます。日によって、一人も立ち止まってくれはる人がない時もあります。 冬の寒い寒い日など ちょっと残念な気分になる日もありましたが、今日の高齢女性の方のように目の端に入れてくれてる人はいるんだということがわかって、元気が出ました。
終了間際、一旦 通り過ぎた 高齢男性が500円玉を持って戻って来られました。ガザへの攻撃がどんどんひどくなってから、小銭じゃない カンパを入れてくれはる人が増えてます。「ありがとうございます!」「ご苦労様です!」と声をかけてくださることも。皆さん日常 忙しくて大変だけど、ガザでのジェノサイド は 何としても早く止めて欲しいと思ってる人は多いんだろうな!
 朝ドラ、 虎に翼のことを トラツバというらしいです。毎朝熱心に見ています。とらちゃんがベンチに座って お弁当を食べてる時、白い服の男の人が 松葉杖を横に座って 物乞いをしている場面が出てきます。若い人たちはこの人達のことを知ってるのかな? 戦争で体に傷を負い、仕事ができずお金に困りやむにやまれずの人たちだったのだと思います。戦争で障害を負った人のことを 傷痍軍人と言います。私の父も傷痍軍人でした。父は恩給をもらえたので良かったのですが、どういう事情か もらえない人もいてはったんです。幼い頃 京都の繁華街でアコーディオンを弾いてはる姿を見かけました。60年以上前のことですが、物悲しいさとして目に焼き付いています。ひ弱な 父が招集されたのは終戦間際 だったようです。 大阪で空襲に会い、焼夷弾の破片が背中から左肺に突き刺さり、もう少しで 心臓 という場所に止まったので命拾いをしたと聞いています。当時のことなので取り出す手術 なんか もちろんできませんでした。十分な医療を受けられない中、母が自分の弟を連れて リアカーで迎えに行き 一生懸命 看病したおかげで生きることができました 。でもずっと病弱で、ちょっと無理をすると吐血して真っ赤な血を見るのが怖かったです。戦後30年経った 1975年に焼夷弾の破片が入っている左肺半分を取り出す 手術をしました。見せてもらった焼夷弾の破片は縦横3cm ぐらいの鉄の塊でした。その後しばらくは元気にしていたのです が、数年後、手術時の輸血による肝炎 で また健康を害しました。本当に体調が良かったのはほんの少しの期間だけでした。
  ロシアのウクライナのイスラエルのハマスの戦争させられてる人たち、彼ら みんなの命が大事です!そして何よりも 何の罪もない民間人、 女 、子供 殺すな!今すぐ 戦争やめて!停戦が実現したらスタンディングを止めるつもりで始めたので、早く 停戦合意してほしい!
  戦争やめて北千里駅前スタンディング