丹後への旅 2025.5

2025年8月1日

5月末に京都府の日本海側の丹後へ行きました。
舞鶴引揚記念館 シベリア抑留、収容所を「ラーゲリ」という。舞鶴港へ戦後シベリアからの引き揚げ兵や家族がたくさん帰ってきました。「岸壁の母」のモデルとなった方の息子さんは戦死して帰ってこなかったそうです。

宿では、日本海側へ行かないと見れない、海に沈む夕日を堪能しました。

翌朝、丹後半島の経ヶ岬への途中、穴文殊というお宮の参道をはさみ、参道から隠れるように巨大な白いゴルフボールのような米軍基地とTV塔のような高いレーダーの自衛隊基地が並んで立っていました。関西初の米軍基地だとか。原発や軍事基地などのやっかいな施設は人目につかない場所にこっそり建てるので要警戒です。

経ヶ岬灯台へは、途中の山道で野生の猿がいた、昭和63年まで灯台守がおり子供が野猿の群れや大蛇におびえながら3km通学したとか。

網野町では、地元産品販売施設のアミティ丹後内にある「野村克也監督ギャラリー」を見学。戦死の父、母子家庭、暗い藪を駆け抜けた気弱な小学生でした。中学の府大会2回戦平安中に終盤ノムさんの長打で逆転勝ち。峰山高校卒業後、南海へ入団。最初は投球練習のブルペン捕手いわゆる「カベ」でした。戦後初の三冠王などたくさんのトロフィー、愚公山を移すの揮ごうなど見所あり。丹後のヒーローですね。

帰り道で、加悦町(かやちょう)の「道の駅・シルクのまちかや」にある大江山ニッケル鉱山跡を見ました。中国人慰霊碑、煙突、トロッコ橋はあったが案内不足で、一般客にはわかりにくいのが残念。案内板にはありませんが、週刊金曜日94号によると強制連行の労働者は中国人200人、朝鮮人、アメリカ人捕虜ら最盛時約3400人、とのこと。そばのグランドゴルフ場脇に当時の煙突が見えました。

隣りに閉園した加悦SL広場にラッセル車がありました。

1泊2日でしたが、充実した旅になりました。