南京大虐殺 杭州湾から南京へ3 週刊金曜日51号
南京大虐殺 杭州湾から南京へ3 週刊金曜日1994.11.18号 本多勝一 P52~53より引用。
長興市が占領されたときの様子をつづけよう。
馬巧林さんは一九歳だった。「むかしのことはあまり話したくありません」と、体験を語るまえに彼は言った。ー「話すと涙がでてしまうものですから。両親がころされて、・・・でもあなたは日本侵略軍の犯罪をしらべにきたとのことですから、あえて話します」
母が強姦され、父も
(略)両親は家から二〇〇メートルほどはなれた墓地にかくれていた。村のあちこちで家に放火され、煙があがっている。自分の家がどうなっているのか気が気でなくなった母は、家がみえる位置まで出ていったらしい。日本兵につかまってしまった。家のまえの畑で強姦された。母の死体は下半身がはだかにされ、局部を切りつけた斧がそのままつきささっていた。
母がもどらないので、父も墓地から出ていったが、日本兵が母をつかまえて何人もかこんでいる様子を遠くからみたらしい。動転した父は半狂乱となって泣きながら西のほうへむかう姿を村人たちはみていた。たぶん子供の避難先へゆくつもりだった。だが家から二キロほどはなれた桃家橋で日本兵につかまった。首を切られてころされた。
P53(略)いっばうあまりに悲惨な母の死体には 日本兵が去ってから村人らがとりあえずワラをかぶせた。ところが二、三日してまた日本兵があらわれたとき、このワラにも放火したので、上半身の着物も髪も焼けた。一カ月後に柩を用意して馬さんが家にもどったとき、母の死体はこんな有様のままであった。、馬巧林さんはこのようを体験を語った。このあくる年の六月、一五人が「蒸殺」(湯気で蒸しころす)される事件があったが、南京攻略戦後のことなので省く。
妻が強姦され、娘も・・・
(略)方家浜村には、阿南省からきた馮毛頭という若い農民がいた。妻(25)と女児(3ツ)の三人家族だった。三人の日本兵が突然あらわれ、馮は逃げたが妻がつかまってしまった。
夕方になって湾がもどると、家は焼かれ、妻は外で強姦されたあと腹部を銃剣で突きさされて殺され、その死体の上に三歳の娘も死んでいた。娘は心臓部をひと突きにされていた。外にひきずりだされた母を女児が追ってすがりついていたのではないかと、村人たちはあとで想像した。妻子の惨劇に衝撃をうけた馮毛頭は、すぐに方家浜(沼) にとびこんで自殺した。自殺したときは陳千忠という馮の隣人が目撃していて、あとで周さんに話した。
広徳も占領・皇軍破竹
(略)
つづく
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