従軍慰安婦 まず謝罪、そして補償を考えて 宋神道 週刊金曜日第80号
週刊金曜日1995.6.30号P60~61より引用。
まず謝罪、そして補償を考えて 宋神道
在日で唯一名乗りをあげている元「従軍慰安婦」の宋神道さん。政府の戦後補償政策について、
「悪いことをやって、なんで謝罪できないのか」と、怒りをあらわにする。
金の問題じゃない
宋さんは現在、日本で暮らす「在日」の朝鮮人元「従軍慰安婦」としてはただ一人、日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こしている人だ。「慰安婦」問題を考える上での象徴的な存在でもある。「とにかく政府に謝罪してもらわないと、オレ、うまくないんだよ。オレはとにかく、謝ってもらいたいんだ。(慰安婦の女性)一人一人に『申し訳なかった』って謝ってもらわなければ、死んでも死にきれない。
なんで自分の国が戦争するのに、朝鮮の男や女を連れてきて、『戦争だ』といって日本のために働かせるの。それで今さら桶償はしない、謝罪もしないってことは、当たり前に戦争して当たり前に人を使ったっていう気詩ちしかないからだろ。ああでもない、こうでもないと理屈ばかり並べているの、政治家が入れ替わり立ち替わり……。盗人よりひどいよ」
「国のためだからって、お金も国防献金に持ってかれる。体を詐さなきやはたかれる。どうする、あんた? 忘れられるかね? 忘れられねえよ。経験した人間じゃないとわからないから。民間基金であれ何であれ、お金のことじゃない。オレ一人じゃなく、何百人という人間をデタラメに連れていって、『従軍慰安婦』だったおなごたちはみんな、疲れまくっているじゃないか。ばばあになってさ。使い物にならないじゃないか。こんなことしといて、自分たちが黙っているとはなんだと言っているのよ。『二度と戦争はしません』となんでで
きないの。
昔は軍国主義で、朝鮮人が苦労したってわかってて、なんで謝罪できないの。謝罪しないってことは、またいくさで戦いたいんだよ、政治家野郎どもは。とにかく先決は謝罪問題。何年かかっても謝罪問題!」
日本での戦後
「一六歳のときに慰安婦にさせられて、二三歳まで中国に残って、終戦になってから帰ってきたんだよ。七年間ずっと、毎日軍人の相手をさせられて、すごかったんだから。処女からやられて、殴られ、蹴られ、刀抜いて切られ、しまいには腕に『金子』って名前の入れ墨を入れられた。軍人たちが遊びさ来たとき、名前がわかるようにさ。紙に書いておいてもわからなくなっちゃうべ。だから腕に入れ墨入れて。これは私が慰安婦だった証拠になるんじゃないかなって気もするの。格好惑いから消すべと思っても、消えないんだよ」
親に決められた結婚に反発して家を出た乗さんは、「御国のために戦地に行って働けばお金が儲かる」とだまされて「慰安婦」にさせられた。中国の武昌をはじめ、揚子江中流域沿岸各地の慰安所で働かされ、ときには日本軍とともに移動する。日本の敗戦で途方にくれていたとき、一人の日本人軍人から「一緒に暮らさないか」と誘われ日本に来たが、捨てられてしまう。そんなときある朝鮮人男性と知り合い、一緒に暮らし始める。
「そのときのオレは体中シラミだらけでみじめな体して。何のために戦地に行ったと開かれるんだけど、格好悪いもんだからしゃべれなかったの。毎日酒飲んでばっか。じいちゃん死んじゃったけど、花だけは供えるんだわ。この人がオレのこと助けてくれなかったら、とっくに死んでいる。オレはこの人のために生きている人間だから」「オレ、一〇〇も生きるよ、くたばんない。生まれたかいがあるよ。生きたかいがある。オレは心は汚れてねえ」(談)
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ソン シンド一九二二年、忠清南道生まれ。
一六歳から二三歳までの七年間、「従軍慰安婦」として連行される。現在、裁判係争中。
(以上引用終わり。著作権は週刊金曜日にあります)


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