「従軍慰安婦」問題の根 金富子
週刊金曜日1995.6.30号P58-P60より引用。
戦争中の「慰安婦」制度は、国と軍が一体になって行なった「国策」だった。自らすすんで「慰安婦」になった女性は一人もいない。まだ誤解が根強く存在する「慰安婦」問題、民間募金について、改めて問いたい。彼女たちの存在を無視したままでいいわけはない、と。
「慰安掃」制度と日本国家の責任
軍慰安所の設置が最初に資料で確認されるのは、一九三二年の上海事変時である。当時、上海派遣軍であった岡村寧次参謀副長が「私は恥かしながら慰安婦案の創設者である」と回想録で告白している(稲葉正夫編。岡村寧次大将資料』)。
しかし、制度として本格的かつ大規模に始まったのは、周知のように三七年一二月の「南京大虐殺」事件後からである。この事件は中国人軍民への無差別虐殺以外にも、中国人女性にとっては「南京大強姦」と呼ぶほかないほどの多大な性的被害をもたらした。その件数は記録に残るだけでも、占領後の最初の一カ月間で「約二万の強姦事件が市内に発生」(東京裁判の判決文)と記されている。これが中国人や諸外国の対日感情を悪化させると見て取った日本の派遣軍(中支那方面軍)が、「強姦を防ぐ」と称して慰安施設の設置を直接参謀部に指示したことから「慰安婦」刺度は始まったのである。そしてわずか半年の間に、「現在の兵団は、殆どみな慰安婦団を随行」(岡村、前掲書)するほど陸軍組織の間に定着するに至った。アジア・太平洋戦争勃発以降は、陸軍中央自らが設置に乗りだし、日本軍部隊の派遣されるところには、最前線以外のほとんどの場所に慰安所が設置された。つまり、日本軍が侵攻したアジア・太平洋の広大な勢力圏内のほとんどに、女性たちが日本やその植民地の朝鮮・台湾から徴集されたり、あるいは占領地で「現地調達」されて、「慰安婦」にさせられたのである。
朝鮮からは、ごく初期から少女と呼ぶにふさわしい十代の女性たちが騙され、あるいは暴力的に日本の占領地に連行され、制度として確立された慰安所で「慰安」を強要された。朝鮮人女性にとっての「慰安婦」制度とは、占領地女性への強姦防止という名目でつくられた、植民地女性への強姦制度にほかならない。強姦対象が中国人女性から連行した朝鮮人女性へ、強姦方法が無差別から軍の統制下に変わったにすぎないのである(慰安所の外では相変わらず無差別強姦が行なわれていた)。
日本軍占領地下の東南アジアでは、暴力的手段での連行→軟禁・拘束→継続的強姦・輪姦といったケースが多く、さらにその本質が赤裸々に現われる。
また、軍は「慰安婦」制度を立案しただけでない。「慰安婦」を集める業者選び、資金や便宜の提供、「慰安婦」の輸送、慰安所施設づくり、慰安所の管理・取繕、慰安婦・業者の管理・監督、性病検査、コンドームの支給にまでまるごと関わった。「慰安所制度の運営の主体は軍であったことはあきらか」(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書)なのである。また、外務省、内務省、各地の警察署、朝鮮総督府・台湾総督府その他の国家機関も「慰安婦」徴集・慰安所設置に直接・間接に関わった。つまり「慰安婦」制度とは、皇軍の聖戦遂行という国家目的を達するために軍ぐるみ、国家ぐるみて推進された、組織的な強姦制度だったのである。
以上の事実は、九〇年代に入って自発的に名乗りをあげた被害者自らの証言や公開された政府資料によって、ようやく解明された。真相究明が進むなかで、「慰安婦」たちは「性的奴隷」と呼ぶほかない状態におかれたのであり、「慰安婦」制度とは重大な人権侵害にほかならず国家が犯した戦争犯罪・性犯罪であると認識されるようになった。こうした認識があるかないかは、「慰安婦」に対する国家責任に基づく「謝罪と補償」の必要性に結びつくのだが、まだまだ日本国民の問に広く共有されてはいない。
補償要求裁判と日本政府
戦後の韓国ではじめて元「慰安婦」として名乗りをあげた金学順さんを含む三人の「慰安婦」が、韓国在住の軍人・軍属とその遺族(遺族会)とともに、補償を求めて日本政府を相手に提訴したのは、九一年一二月六月のことである。それから現在まで、元「慰安婦」を原告とした裁判は五件が進行中である。韓国在住「慰安婦」が二件、フィリピン人一件、在日韓国人一件、オランダ人一件である。また、中国人の元「慰安婦」四人が八月にも提訴すると伝えられている(六月五日付『朝日新聞』)。
これら五件の裁判は、いずれも日本政府に対して被害者個人に対する「補償」(韓国遺族会、フィリピン、オランダ)ないしは「謝罪と補償」(他二件)の実現を求めている。
日本政府は、当初国会で「民間業者が連れ歩いた」と発言して(九〇年六月六日)日本軍の関与を事実上否定したが、遺族会裁判の開始や軍の関与を立証する公文書類の発見が明らかになると、九二年一月には一転して関与を認め、訪韓した宮沢首相(当時)は謝罪した。そして同年七月、九三年八月と二度にあたる政府調査と資料公開を行ないー不十分ではあるが、改めて「軍の関与の下で、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「お詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明した。しかし、補償問題については「サンフランシスコ条約および二国間条約で解決済み」との姿勢をくずさず、個人補償をつっぱねてきた。そして「補償にかわる措置」の検討の結果、昨年八月の村山内閣成立後に出てきたのが政府主導の「民間募金」構想である。
六月一四日、日本政府はこれを具体化した「女性のためのアジア平和友好基金」事業なるものを正式発表した。内容は元「慰安婦」に対して、①「国民・政府脇力のもと」で「国民的償いを行なうための資金を民間から基金が募金」することを根幹に②医療や福祉などへ資金支援③「率直を反省とおわびの表明」④歴史資料の整備、である。さらに、今日の「女性に対する暴力」などに対応する事業への支援がおまけされている。
これに対し、被害者及び支援団体は抗議の声をあげた。在日韓国人の元「慰安婦」宋神道さんは、「なんでよその国の女たちを慰安婦にさせといてからに、謝罪も補償もしないのか」「オレは車イスほしさに、意味のないカネほしさに裁判おこしたわけじゃない」と悔しさをこらえきれずに語り、金学順さんも「なぜ、すっきりと国として個人補償を引き受けるといってくれないのか」と疑問の声をあげている。その一方で、民間募金を受け入れると表明している元「慰安婦」たちもいる。日本政府の民間募金案は、政府相手に国家責任での補償を求めて裁判を起こした原告の間に、深刻な動揺と亀裂をもたらしている。(略)しかし「女性のための」「平和友好」という美名の下で、民間から募金を集めて「国民的な償い」をするという、聞こえのよいこの構想には、巧妙な国家責任回遊の罠がしかけられていることを見逃してはならないと思う。
なせ日本政府の民間募金ではダメなのか?
そもそも民間募金は、前に述べたように、日本政府があくまでも「補償は二国間条約で解決済み」「個人補償はしない」という基本方針を死守するための奇策として生まれたという背景を持つ。したがって当然のことながら、民間募金は国家補償ではない。補償したくないから、出てきたのが民間募金なのだ。
問題なのは民間募金の性格である。つまり、政府の責任のがれという根幹(本質)にかかわる部分だ。責任を問われるべきは、「慰安婦」政策を立案・実行し、まるごと関わった戦争犯罪・性犯罪の主犯たるべき日本軍・日本国家であることは明らかだ。にもかかわらず、政府は当然取るべき国家責任=国費での補償をしないまま、国民(他人)のサイフからお金を出させて国家責任をすりかえている。国が国として犯した犯罪の責任を避け、副次的な手段である民間募金に逃げたというのが、この政策の本質である。国民が善意で募金したとしても、ごまかしにのせられるだけの結果になってしまう。これでは、「慰安婦」制度が国家犯罪であることへの理解は広まらず「被害者の名誉回復・人権回復にもつながらない。政府が被害者に医療ケアや謝罪文らしきものをなしたとしても、責任逃れという根幹を覆い隠す枝葉でしかない。
政府は「補償金」とはまったく無関係な「民間募金」で、「慰安婦」問題、ひいては戦後補償問題全体の「完全かつ最終的な解決」を目論んでいるのである。
なぜ個人補償を求めるのか
日本政府がこうした奇策を弄してまで「アジアの戦争被害者には個人補償をしない」という政策を押し通す背景をさぐると、日韓条約締結時と同じく、過去に対する歴史認識の問題にたどりつく。六五年の日韓基本条約の条文には、植民地支配への謝罪の文句は一言半句もなかった。それが反映されたのが、〝賠償なき”日韓経済協力・請求権協定だった。それから三〇年後の九五年六月にようやく採決された「戦後五〇年決議」にしても、植民地支配や侵略行為の字句は躍っても、主体的な責任明記はない。結局、問われるのは過去に向き合う国の姿勢、そして人権感覚なのである。
その場合考えるべきは二つある。まず、日清戦争から敗戦までに至る”戦中五〇年”のアジア侵略と植民地支配の歴史を事実に即して確認し、共通した事実認識をもつ作業である。さらに、〝戦後五〇年”間の日本の戦後責任のあり方を考えることである。自国民(軍人中心)に対しては手厚い個人補償をしながら、外国人戦争被害者に対する戦後補償については、当事者抜きに二国間の枠組みだけで決着してしまうという、ゆがんだ戦後責任のあり方(戦後無責任)自体が問われなければならない。アジア民衆の人権は、この一〇〇年間踏みつけられたままである。日本政府の殺し文句は、「補償問題は二国間条約で解決済み」、だから「個人補償はしない」。しかし、この二つはイコールではない。たとえ二国間で解決済みだとしても、被害を与えられた個人の加害国に対する諮求権は消滅しておらず、日本が新たに国内法をつくれば個人補償は可能だからである。二国間で解決済みでも、日本国が自主的に戦後補償立法を行なう妨げにはならない。こうした考え方に基づいて、戦後補償裁判に関わる二三の弁護団で構成する「戦後補償問題を考える弁護士連絡会」等では、すでに「外国人戦後補償法」試案を作成・公表している。
要は、国としてのやる気の問題である。民間募金に逃げないで、人権の視点から立法化に取り組み主体的に過去を克服してほしい。そして、国民がなすべき「国民的な償い」とは募金ではなく、政府をして「国家的償い」としての個人補償を実現させることにこそあると思う。民間募金が強行されるのなら、被害者だけでなく、加害国日本に住み続ける在日女性として私も、いたたまれない気詩ちだ。
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キム プジャ・在日朝鮮人二世。在日の女権史研究を志す一方、従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク、在日の慰安婦裁判を支える会、メンバー。著書に『もっと知りたい慰安婦問題』(明石書店)など。今秋、北京女性会議に参加予定。
(引用終わり)
なぜ募金ではだめで、国家賠償を求めるのかが分かりやすくまとめられており、全文掲載した。昨今の日韓慰安婦合意でも日本政府(安倍政権)が謝罪の言葉を述べた記憶はない。



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