週刊金曜日171号1997.5.23目次、私が看た海南島海軍病院の「慰安婦」たち
P22徹底追及自由主議史観 私が看た海南島海軍病院の「慰安婦」たち 西野瑠美子1
元海軍従軍慰安婦の体験
P23台湾 高雄の海軍病院、少年航空兵の焼け爛れた顔にはハエがたかっている。凄まじい痛みに少年は「殺せ!殺せ!」と泣き叫んでいる。その近くで両手両足を失った兵隊が、同じように「殺してくれ!」と叫んでいた。医師は手の施しようのない患者の手足を切断した。
・死の漂流
・海南島へ 三亜
P24・日本人「慰安婦」
三亜には、何カ所も日本軍の慰安所が作られていた。将校らは日本人「慰安婦」、兵隊や軍属は朝鮮人「慰安婦」や台湾人「慰安婦」に行った。
・性病検診
海南島に来る兵隊の70%が梅毒を持っていると病院はみていたという。脳梅毒、完治しない兵隊は前線に送られた。「狂った」ように大声を上げて運び込まれてきた日本人「慰安婦」、しかし朝鮮人「慰安婦」には、「消毒しておけ」でヨードチンキを塗るのみだった。敗戦後、朝鮮人と台湾人「慰安婦」が引き揚げ船に乗せられたという話は、聞くことがなかった。
加害の歴史
P26「自由主義史観」と「司馬史観」その似て非なるもの 対談 石川好 佐高信
自由主義史観と言いながら、偏狭なナショナリズムにとらわれている。
司馬遼太郎は、「日本のナショナリズムは一皮むけば尊王攘夷だ」と言っていた。
「坂の上の雲」を書き終えた後、司馬は「土地を公有化しなければならない。共産主義者と言われるかもしれないが土地は公有化しろ」と、宮沢首相や木村俊夫元外相などに言っている。
「この国のかたち」。
司馬は戦前の国家が、形を替えて会社となってしまったという認識が落ちてしまった。
p54 蝙蝠を撃て!10 西部邁3 雁屋哲
西部邁が思想家とは言えない第二の理由。
リクルート疑惑で追及されていた「中曽根康弘の群馬3区に8,9回演説に行って、全部マスコミが悪い」という話をやりまくった。
評論家の第一歩で、権力者に取り入って保守派評論家として売り出すための営業活動をする。
左翼から保守に転向したものは権力に対して忠誠の証拠を示したがるんだ。
政治家を励ますしか知識人としての道が見つからないのだから、西部は自分自身の思想がないことになる。
P78 新刊・重版案内「いま学びたい近現代史」教育史料出版会、同時代社
巻末コラム軍国時代のニッポン 飛田勘弐「国体の本義」日本書紀など記紀の神話や古典から、日本の国体を説明するのに都合の良い部分が引用され、個人主義や自由主義を排除、天皇への「絶対随順」を説いた。国家神道の経典、ファシズムが思想的に確立。「臣民の道」も刊行。




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