戦前の名古屋で治安維持法の弾圧を受けた演劇団体の話

 ご両親の人生に戦前の治安維持法が影を落とした方の話を教示頂きました。
以下、吹田市の提供者様のメールをそのまま転載します。

添付しましたのは、内務省警保局の文書です。治安維持法に関するものです。息子が見つけてくれて、それをワード文書に書き直しました。文字が判読できないところは□にしてあります。
 どんなふうに監視されていたかがわかります。
 私の母は、この中に出てくる「春泥座」という劇団に所属していて、特高に追いかけられて逃げ、知らない家の庭でかくれたそうです。
母の恋人は捕らえられ、結局結婚を反対され、なんということか、母の親(私の祖父母)は、特高警察の人と結婚させたのです。
母は後に「愛情がなくても子供は生まれる」と言いました。それが私です。私が小学校に上がる前に、離婚しました。よかったと思います。
 もっと母に話を聞いておけばよかったと思います。
スパイ防止法には、絶対反対です。
私は高齢で、年齢以上に年をとっていて何もできませんが、私が家にいてできることはしたいと思っています。よろしくお願いします。

内務省警保局の文書

 ・添付ワードの文書(上記の内務省警保局の文書の書き下し、一部私で補筆しました)
内務省警保局が編纂した『社会運動の状況』は、大正末期から昭和初期(1927年~1942年頃)の日本における共産主義、社会民主主義、労働運動、農民運動、右翼運動などの動向を詳細に記録した年報形式の内部資料です。
 内務省警保局 「社会運動の状況」共産主義運動
三、名古屋市吏員を中心とする共産主義グループの運動 (昭 十三年四月十七日愛知縣檢□)
 愛知縣都市計晝課員高橋壽男外三名は昭和十一年七月二十七日名古屋市喫茶店「銀のサロン」に會合協議の結果共産主義グループを結成し其の運動方針として⑴現在我々の陣営は昭和九年の黨内□に災され、更に其の後の彈壓と加ふるにファッショの重壓によりて極めて微弱である。⑵斯る情勢下に於ける或々の任務は、共産主義運動の指導體たる黨の強化であり其の再建である、従って我々はコミンテルン第七回世界大會に於いて決定せられたる人民戦線戦術に則り、各地方に即應せる方法により共産主義グループを結成することが必要である。⑶茲に結成せる本グループは、黨再建の暁に於いては自然黨に解消せらるべきも、それまでは黨の代行機関として此の地方に於ける共産主義運動の指導體として活動すること。等を決定し爾来左の如く昭和十二年七月二十二日に至る間各般の活動を展開せり。
(1) 研究會活動
昭和十一年七月二十七日以降九回に亘り移動的に研究會を開催し、(一)黨文書赤旗(一九三六、八、一發行)、(二)夏期の好飲料(労働者階級の反ファッショ統一戦線の為に)(三)自宅で有利に収入を得る近道(日本に於ける民衆戦線の為に「在モスコー同志岡野よりの書籍」等を中心に研究會を開催し、各メムバーの意識の昂揚に努むる所ありたり。
(2) 「土曜會」「金曜會」による研究運動
前記高橋壽男、兒玉五郎の兩名は、昭和十年六月頃より水谷覺(縣都計課員)(名古屋市土地区劃整理組合)水谷高次郎(東部土地区劃整理組合主事)を順次獲得し、研究會「土曜會」を組織せり。爾来昭和十一年四月十八日に至る間前記八回に亘り、毎土曜日に永田廣志著「唯物史観講座」をテキストと為し研究會を開催しつゝありたるが、共産主義グループの結成後は新に八巻秀次を加へ會名を「金曜會」と改め、野呂榮太郎著「日本資本主義發達史」秦彦三郎著「隣邦ロシヤ」等をテキストと為し、翌十二年一月十五日に至る間前後六回に亘り、研究會を開催せり。
(3)□□座による活動
尚高橋は演劇活動を通じて共産主義思想を宣傳せんとし、昭和十一年一月頃縣都市計劃課員根津文雄、岡崎芳三、千倉某を獲得し、(一)都市計劃、土地区劃整理事業は微力化し□れるを以て演劇活動を通じて本事業を宣傳すると共に共産主義的啓蒙を為すこと、(二)土地区劃整理に對する地主の無理解を矯正する為地主組合或は換地處分會議等の席上簡単なる演劇を上演し啓蒙すること(三)之に依り目下沈滞状態にある名古屋の新劇運動に刺戟を與へ、更に名古屋地方に於ける新劇團の誕生を促し之等の聯合體を結成すること等を協議し、演劇團體□□座を結成せり。爾来同年五月に至る間脚本「残されたる□」「□□太平樂」「土地に打つ波」「どん底」(ゴルキー作)「櫻の園」(チエホフ作)等の朗讀會を開催し、或は同年五月十二日岐阜市公會堂に於ける第四回全國土地区劃整理事業大會席上及市内西区筒井町料亭満月莊に於て「残されたる□」を上演せり。
 右に依り在名演劇愛好者に「□□座」の存在を示すと共に「藝術クラブ」(□□座員久野某の組織するもの、會員一五〇名「春泥座」(文士久保山萬太郎の主宰するもの、會員一五名)等を□合し、在名演劇團體の聯合體を結成すべく畫策せり。
(4)雑誌「区劃整理」を通じての活動
高橋は昭和十二年四月より区劃整理協会機關紙「区劃整理」の編輯其の他の事務に専従するに至れる機會を利用し、脚本「区整太平樂」「残されたる□」等を掲載し、一三〇〇の讀者に對し共産主義思想の普及浸透に努むる所ありたり。
(以上、提供者からの引用終わり)

ネット検索したときに、AI モードの会話で以下を時代背景の参考に追記します。
しかし、手がかりとして以下の背景や調査の方向性が考えられます。
 歴史的・地域的背景からの考察
名古屋とプロレタリア演劇・市民演劇: 昭和13年(1938年)は国家総動員法が制定されるなど、戦時体制下の思想統制や演劇検閲が非常に厳しくなっていた時期です。当時、名古屋の東区や筒井町周辺には、私塾や青年学校、地域サークル、あるいは左翼・労働運動派生の新劇・アマチュア演劇グループが点在していました。
・高橋壽男という人物: 同時代(昭和初期)の著名な「高橋壽男」としては、前衛的な建築運動(創宇社建築会、青年建築家クラブ) や都市計画の理論家として西山夘三らと活動した高橋壽男(たかはし ひさお)氏 が存在します。彼は大井町の書斎で唯物論を学ぶなど社会運動にも近く、昭和12〜13年前後にも論文を発表しています。もしこの人物であれば、建築の枠を超えて地方の演劇運動や舞台美術、劇作に関わっていた可能性、あるいは同姓同名の地元の演劇活動家(青年学校の指導員や劇団主宰者など)の可能性があります。