霞ヶ浦と予科練平和記念館

2025年9月12日

台風が来て、「霞ヶ浦高校」が甲子園出場で琵琶湖対決に負けた翌日、霞ヶ浦を見に、茨城の土浦へ行きました。

 普段は反戦だが、相手(軍隊)のことも知っておく必要があると思い、零戦少年兵を訓練する隣の阿見町 予科練平和記念館も見学。

以下、印象に残ったこと

・人間魚雷回天、水上特攻艇震洋、人間機雷伏竜、特攻爆弾桜花

館の敷地にある回天の模型

零戦の模型
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隣の陸上自衛隊武器庫の敷地内に無料の「雄翔館」があり特攻兵を祀る。
・大西瀧治郎中将、喧嘩屋滝兵衛、山本五十六の知恵袋、愚策と認識していた特攻作戦に参加したときはすでに上層部で決まっており創始者ではないのに敗戦翌日に介錯なしで割腹自決。
・水盃
予科練の搭乗員には甲乙丙種とあり、特攻隊平約1万9千の戦没者のなか資格者が少ない丙の死亡率が一番高いのが印象深い。
予科練教育は、昭和5年に発足した乙種、昭和12年に新設された甲種、昭和15年に発足し、昭和18年に廃止された丙種、そして昭和18年に発足した乙種(特)、および台湾と朝鮮出身の一般志願生から選抜した丙種(特)飛行予科練習生制度の5つの教育制度がありました。
・飛行機乗りは(20代までの戦死者が多いため?)30代はおじいさんと呼ばれた
・祖母はなぜそんな危険なところ(予科練)に行くのかと反対
・霞ヶ浦海軍航空隊のあった阿見町付近は空襲が多く、朝鮮人が掘らされた防空壕へ避難した予科練兵が多数爆死した。
当時「貴様来い」と言われ、脳みそを脳に入れた近所の少年
 ↓館の隣にある自衛隊の古い建物、装甲車などもあった
それにつけても日本軍関係の館は冷暖房完備、かたや市民運営の戦争資料館は人や運営資金も乏しく廃止のところも出ており落差を感じた。
 帰り、甲子園に出た霞ヶ浦高校の前を通って、霞ヶ浦総合公園の湖岸にも行ってみました。
SANY0204.jpg 20240817_145002.jpg 風車があり上がって霞ヶ浦が望める、案内はないが日立が建てたとか。
9281.jpg湖岸からは航空機が何機も上空を通過、成田空港へのルートかな。
小さな旅でしたが印象深いものとなりました。

 

会員から吹田

Posted by senrint