週刊金曜日145号 1996.11.1目次、「自由主義史観」という名の自画自賛史観1
P48「自由主義史観」という名の自画自賛史観1
戦争責任を直視しようとする歴史教育を「自虐史観」「暗黒史観」「反日史観」と断罪する「自由主義史観」研究会。彼らの主張は、日本の戦争責任・アジア侵略を否定する右翼政治家の妄言と軌を一にしている。「自由主義史観」の言説を通して、日本の戦争責任・戦後責任から逃避し、免責を渇望する日本人の精神風土を考察する。
対談 戦争責任を背負えない戦後日本の精神風土 徐京植 田中伸尚
・「自由主義史観」が出てきた背景、1985年中曽根康弘首相が国家主義を語り、9.15靖国神社を公式参拝。19967.29橋本龍太郎首相が事実上の公式参拝。
・敗戦から50年、日本では明治維新からアジア太平洋戦争敗戦までの帝国主義路線による朝鮮・台湾などに対する植民地支配について、内在的な反省に立った歴史認識を国民の総意として持ちえなかった。
*国が愛せなくなると国がほろぶ?
藤田省三は「戦後精神の経験Ⅱ」(影書房)の中で、独カール・レービットの一文を紹介して「日本人の精神的特徴は自己批判を知らないということ。あるのは自己愛、ナルシズムだけである。その指摘はいよいよ実証されてきた」。
自分たちの身内が大義のない戦争で犬死した事実だけは受け入れたくない自己正当化の心情は老若を問わず日本国民の中にに広くある。地域社会、学校教育、マスメディアなどを利用して作り上げられ、若者にも注ぎ込まれている。
P49・悪しき本音主義 テレビゲームの感覚。昔でいえば戦記物や講談の世界ディベートとい口実の下で、例えば日本がもし朝鮮を支配しなかったらロシアがきたかどうかとか、当事者としての主体性を忘却したままどんなアブナイことでも言える。
・男性主義史観? 彼らは「国益」という概念を無条件の前提にして論争を立案します。他者から奪い、殺したことをどう反省するかは平然と捨像される。われわれ在日朝鮮人は直接に辱めや攻撃に晒される。(極右の声を)無視して家や学校に引きこもるわけにはいかない。在日の若い人はこういう教師の元で学ぶわけですから。
仏の歴史学者P・ヴィダル=ナケは、ガス室否定の歴史修正主義者を「記憶の暗殺者」と言った。
「自由主義史観」を復古的とのみの解釈は危険。「自分のあずかり知らぬ理由でいつもアジアに謝罪を要求されるのはムカツク」といった若者の気分にも訴える要素がある。彼らのレトリックの特徴は、些末なことで論争して、相手の主張が完全無欠ではないことをあげつらい、そして全体を否定しようとするもの。
彼らは本気で事実を追求しようとは思っていないでしょう(笑)。
どの立場から何のために解明するかの根本を「自由主義史観」の人たちはディベートに隠れて、狡猾に空洞化させていますね。
韓国では人権問題を外交カードとして利用すべきではない、一政権が私すべきでないと主張し投極、殺された人たちがいた。つまり国家と民族、「国益」と民衆の利益が癒着していない。なぜ日本ではそういう動きを作り出しえないのか。
・「東京裁判史観」批判の落とし穴 自由主義史観への注目点は、日本の植民地支配についての歴史認識と、天皇の戦争責任。東京裁判では天皇は被告席に立たされなかった。藤岡氏は天皇の戦争責任の問題を正面からやっていない。
東京裁判の一番の問題は、日本に侵略されたアジアが不在だったこと。その結果、日本の植民地支配、近代史における沖縄やアイヌなどの問題が全部切り捨てられた。これと天皇が東京裁判では証人にならなかった問題はセットだった。
東京裁判は基本的に列強間の戦後処理。一方的に犠牲になった人々の犯罪追及がない。例えば朝鮮総督だった南次郎と小磯国昭の東京裁判の罪状は英米人捕虜を朝鮮で虐待した罪、朝鮮人に対して彼らが行った犯罪行為ではない。
しかし一方には「自由主義史観」に抗して、国家神話に寄り添わずに「文化遺産」を直視し、掬い上げる人たちが必ずいます。




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