週刊金曜日158号 1997.2.14目次、徹底追及「自由主義史観」松代大本営の「慰安婦」の家保存を

2025年9月20日

週刊金曜日158号 1997.2.14目次
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P5金曜アンテナ 長生炭鉱水没事故事故55周年追悼式が開催 山口県宇部市長生炭鉱跡地で追悼式が行われた。主催は宇部市の市民グループ「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」。海底炭鉱。死者の総数173人うち7割が朝鮮人労働者の死亡が確認されている。
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P19徹底追及「自由主義史観」松代大本営の「慰安婦」の家保存を 歴史の事実から目をそむけるな 馬場千奈津
・歴史の証言者を残す
1944年11月、松代の町に地下壕工事のための最初の発破の音が鳴り響いた。約9カ月にわたったこの地下壕建設のために、7000人以上の朝鮮人労働者が強制連行されてきたと言われている。短期間の完成のために無謀な突貫工事が進められ、ダイナマイトの爆発や落盤などでけが人や死者が相次いだ。
 松代にも、工事関係者のために「慰安所」が置かれていた事実はあまり表に出てこなかった。
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P20 ・建設費用は3000万円
4人の朝鮮人女性が連れてこられ、日本人の軍人や現場監督の朝鮮人親方たちを相手に宴会の接待や性的サービスを強要されていたという。慶尚南道の出身、「特殊看護婦になれる」と誘われ、松代までやってきた。韓国の元「慰安婦」姜徳景さんは慰安所跡の松の木を見て、当時を思い起こしたという。
「松代・朝鮮人「慰安婦」の家を残そう実行員会」、「もうひとつの歴史館・松代」と改め。
・復元に冷たい地元自治体
権力者の手によってつくられた物語ではなく、意図的に隠され、あるいは黙殺されてきた弱者、犠牲者の歴史にまっすぐに向き合うことで、私たちはようやく自分たちの国の未来を語ることができるようになるのではないか。
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P22日本枯れ尾花論の中で「自由主義史観」というあだ花 國弘正雄
「慰安婦」問題を取り上げた「朝生」を見た
・藤岡より悪質な西尾幹二教授
・つまみ食いの”愛国心”
・日本的ネオ・ファシズムのはしり
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P24 アメリカの哲学者バートラム・グロス「笑顔のファシズム権力の新しい顔」上下(日本放送出版会)
日本の若い衆に36年の朝鮮半島支配など現近代史を勉強してもらうことだ。現代から過去にさかのぼって叙述する(倒叙法)教科書を作成・採用してもらえぬか。保利文相には検定不合格にはしない言質を得ている。
・扇動的・低次元の批判の時期は過ぎた
 日本や中国、朝鮮半島の教育者や研究者が相互に受け入れ可能な共通歴史教科書を作成する着想。ドイツとポーランドでは実現をみている。中・韓・日では手探りで会合が凭れ、小生もその一員。
第三に、独・仏で家族を含め50万人の青少年の交流。
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P26 朝日と文春12 ガス室はなかったと唱える日本人に捧げるレクエイム4
   ナチス・ドイツと天皇制日本が酷似する「血の神話」と国家思想 金子マーティン
・チクロンBはどのようにして温められたか
・インターメッツオー日独国家思想の類似性
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P28 ナチスドイツの優生学的人種思想に影響され「日本民族衛生学会」は「劣等者」の不妊・断種手術を目的とする「国民優生法」を1940に制定、「遺伝病者」と信じられていたハンセン氏病患者も強制不妊・断種の対象となった。
P29しかし、問題はそのような史実にあるのではなく、今のわれわれがそれにどう対処しているかであろう。自国の優生思想(人種・民族・差別主義)を相対化し、はてはその正当化を試みようとするのか、それともその「亡霊」を批判的に検討し、その克服に努めようとするのか。
 もう一方の「同化思想」(日本人化・皇民化政策)だが、朝鮮総督府が建前として奨励した「内鮮結婚」にしても、朝鮮民族の民族性を打ち砕き、それを抹消することにこそその主眼はあったろう。(鈴木裕子「従軍慰安婦・内鮮結婚」未来社)
「八紘一宇」は日本を頂点とする民族秩序の垂直的構成」であると文部省民族研究所の部長が43年に唱えている。日本とドイツの戦時中の「国家思想」は「瓜二つ」であったと筆者は考える。
 日本の戦争犯罪・戦争責任の否認が、国際社会における日本国のさらなる孤立化をもたらすことに気づくべきである。
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血債 香港人と軍票 飯田勇 1941.12.25から終戦まで日本軍が香港を統治。42.2から軍票と香港ドルとの交換が始まった。香港ドルの流通はすべて禁じられ、強制的に軍票と交換させられた。この間に日本軍は約19億円の「軍票」を流通させた。
現在なお香港には5億1000万円の軍票がある。軍票は今は紙屑同然になった。その補償を求めて香港索償協会ができた。
 日本政府は「サンフランシスコ講和条約により英国政府が賠償請求を放棄したため、決着済」としている。
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