週刊金曜日157号 1997.2.7目次、徹底追及「自由主義史観」

2025年9月20日

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P4風速計 御用学者用語 本多勝一
 問題は、役人用語に限らず言葉の使い方にあります。アジアの広大な地域を近代日本が侵略したことは、もはや極右とか藤岡信勝「教授」というような、まともな論理では相手にできぬクリーチャーたちを除けば、認めざるをえない事実でしょう。
 ところが、その侵略を「悪いこと」と認識している人々でさえ、侵略という単語のかわりに「戦争」を使う。日本の全マスコミをこの視点で見ると、たとえば投書欄など興味深いものがあります。「戦争が悪い」「二度と戦争を起こすまい」といった反省のしかたです。これだとケンカ両成敗、強盗も被害者も同じ責任、悪いのは「侵略した側」ではなくて「戦争そのもの」(ケンカそのもの)ということでしょう。だからこそ自民党をはじめとする”主流日本人”と、それに迎合する主流マスコミは、安心して「戦争」を反省するわけです。「侵略」は反省しなくてよろしい。(略)1945年を敗戦と言わずに「終戦」とごまかす類もこのセンスでしょう。当の「朝日新聞」も含めて。
 こういう枠組みの日本的状況の中にあっては、藤岡信勝「教授」が破廉恥な”転向”をとげる大きな動機となった司馬遼太郎史観が、主流日本人や主流マスコミに絶賛され続けるのも当然至極、まことによく理解できるのであります。当の「朝日新聞」も含めて。
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P24 「自由主義史観」グループに反撃する 自民単独政権下で蠢動
 もう黙ってはいられない 徐京植
・母たちを辱めるな
慰安婦たちの多くは、いわゆる「国民基金」の給付金の受け取りを拒否している。
現実には勝訴を期待することが困難な訴訟を闘っているのは正義の実現を求めているからこそである。
今また金欲しさの嘘つきであると辱められている。「新しい歴史教科書をつくる会」の人々よ、もうこれ以上私たちの母を辱めるな。私たち朝鮮人を辱めるな。
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P25-26・「犯罪の歴史」を繰り返すな
 もちろん、日清・日露戦争は「アジア侵略戦争」であった。その結果、朝鮮は日本に外交自主権を奪われ、次いで植民地支配されたのだ。ここでは差し当たり朝鮮についてだけ言うが、日本の近現代史は「犯罪の歴史」である。朝鮮半島の都市と資源の収奪、民族差別賃金での酷使、民族運動に対する残忍な弾圧、日本語強要・神社参拝強要・「創氏改名」などの皇民化政策、軍人・軍属・「慰安婦」としての侵略戦争への動員、工場・鉱山・炭鉱などへの強制連行と強制労働等々どれ一つとして犯罪でないものはない。こうした犯罪がなければ、在日朝鮮人という存在自体もなかった。私たち在日朝鮮人が、これらの犯罪の生き証人である。
 アジア諸民族と同じ意味においてではないが、日本民衆の多くもまた日本国の侵略政策の犠牲者であった。にもかかわらず、日本国民の多くは、「国家」から自立した自己を思い描くことができないほど自己と「国家」が癒着してしまっているため、「国益」という呪文を唱えられると、中身を検証することもないまま一も二もなくひれ伏してしまう。
・許せない抑圧賛美の「正史」
 したがって、「日本はお金持ちなのだから可哀そうなアジア人に多少の金を払ってもことを穏便に済ませればよいのだ」という日本国民の多数派の意識は、状況の推移によって「お金持ち」であることが脅かされると感じたときには、容易に国家主義に回収されうるだろう。
 言うまでないが、この問題の本質は、アジア諸国の国家主義対日本の国家主義の対立ではない。被害者対加害者、真実対虚偽、正義対不正の問題なのである。
 加害・虚偽・不正の側に立って、他社を踏みにじって平然と居直ることをよしとする国家の「正史」などに君たちの歴史をゆだねてはならない。その道の先は破局だ。加害の自覚、被害者への共感、何より真実と正義の追求においいて、私たちと君たちは連帯することができる。それがほんとうの豊かさと、何よりも平和を保障する唯一の道なのである。「国益」幻想を基盤とする典型的な国家主義イデオロギーを「正史」として、多くの日本人が受け入れるとき日本社会に在日朝鮮人が生きていく空間はなくなる。
P27・なんどでも言おう「否!」と
彼ら(「つくる会」)の関心事は初めから、枝葉末節の揚げ足取りをすることによって歪んだ自己愛を満足させることであり、日本国家と癒着した自己を何が何でも肯定することでしかない。本質において、彼らは他者を蔑視しており、対話を拒否しているのである。
 そんな彼らを相手にすることに意味はない。しかし彼らについて語ることは大いに意味がある。
 いま、私たちがはっきりと「否」と言わねばならない。「もう一回言っとけばよかったと後で後悔しないように」。日本人を国家主義の危機から救うためにも。
※文中の「朝鮮人」は、韓国籍・朝鮮籍・日本籍の別を超えた朝鮮民族の総称

〇「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」等の動きを憂慮する在日朝鮮人のアピール
彼ら(つくる会)はなぜ「従軍慰安婦」問題の本質を、自分達が勝手に定義した「強制連行」の有無にすりかえようとするのか。
関東大震災で殺された朝鮮人がいたことを認めながら、ごく少数の朝鮮人の命を救った日本人警察署長の「美談」が強調されなければならないのか。
 彼らは日清・日露戦争をアジア侵略戦争と位置づけることに異を唱えているが、これらの戦争が朝鮮を戦場にして戦われたこと、その結果が日本による台湾や朝鮮などの植民地支配につながったことをなぜ無視するのだろうか。
 私たちの見るところ、「つくる会」等に同調している人々の歴史観には、男性中心主義・国益至上主義・自国民中心主義・英雄主義のイデオロギーが明確に現れている。
 私たちは「つくる会」等の動きを軽視することはできない。現に彼らの著作は書店に高く積み上げられて無視できない多くの読者を獲得しており、一部マスコミは彼らの主張を執拗に代弁し続けることで世論を誘導しようとしている。砂金では「従軍慰安婦という制度は存在しなかった」という声までが聞こえてくる。「従軍慰安婦」記述の削除を求める決議を採択する地方議会も現れた。こうした流れは、このまま放置すれば危険な排外主義に転化しかねないものであろう。日本社会はそれをくい止めることができるのだろうか。私たちは彼らの言説や行動そのものよりも、現在の日本社会の中にそれを産み出し受容していく素地があることに強い危機感を覚えるのである。(後略)1997.1.20
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P28 「中京テレビ『慰安婦』番組検証」を検証する 西野瑠美子
・「スダ・ライン」は消されたのか
・強制連行は捏造?
「最初私は村にいたんですが、買い物から帰る途中、日本兵に無理やり連れ去られた。車で来て車に乗せられた」
・いなくなったのは朝鮮人?
 マルディエムさんは、「インドネシアはこれまで一度も朝鮮に支配されたことはない。支配していたのは日本であって朝鮮ではないことを忘れないでほしい」と歴史事実を踏まえない問題のすり替えの軽薄さを指摘した。
 ボルネオ(カリマンタン)のバリックパパンでは、海軍の第二設営班主計局長だった中曽根康弘(元首相)が慰安所設置に携わっていた。「三千人からの大隊長だ。やがて原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんな彼らのために、私は苦心して慰安所を作ってやったこともある」と中曽根氏は自分が慰安所を設置したことを回想録に書き残している。
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P30・甘言連行はなかったか?
 強制連行があったかなかったかを問題の焦点に据えることは無意味だ。問題は、徴集・連行のみに限定せず、辞める自由、逃げ出す自由のない精神的・肉体的拘束状態の下で、被害女性たちは拒否することもできず、時に暴力的制裁を受けながら性的強要を受けたということである。また日本軍撤退時に「慰安婦」は殺害されたり置き去りにされた。
・インドネシアから抗議の声が
「SAPIO」誌が品のない言葉で掲載したようなさまざまな障害は、いずれなくなるだろう。
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P58書評「われら父親は闘うー統一教会の正体」飯干晃一 文藝春秋 評者 中村敦夫
彼らの教義がSEX教であると断定する私の発言は、「純潔教育」運動に真っ向から水を浴びせるものだった。
テレビや雑誌は教義に踏み込むことには腰が引けていた。私は彼らがもっとも嫌がる「血分け」の教義を前面に押し出し、全面戦争の開始を宣言した。
 テレビ画面に出て真っ向から対決したのは、飯干さんが初めてだったと思う。
 統一協会は手の込んだプロの詐欺団体である。
 娘はもともと理論に共鳴したわけではなく、マインド・コントロ-ルによって心を奪われてしまっている。
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P66朝日と文春11 「ガス室はなかった」と唱える日本人に捧げるレクイエム3
ソ連人捕虜の大量虐殺死体焼却をさせられたユダヤ人もガス室行き 金子マーティン
・殲滅を裏付けるナチス資料は存在しないのか
 ナチスの「ユダヤ人政策」は3段階に区分されるが、それは1)諸権利の法的剥奪 2)疎開、保留、移住などの名による強制「追放」 3)「最終解決策」(殲滅)である。
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P68ドイツ軍はソ連侵略戦(「バルバルロッサ作戦」)の過程でさまざまな国際法違反の残虐行為を繰り広げた。
「新占領地域のユダヤ人について」ー「ボルシェヴィズムとの闘いで取り分け重要なのは、その主たる担い手であるユダヤ人に対する容赦のない断固たる処置である」。ナチスがその反共主義と反ユダヤ主義とを直結させていたことは同資料からも明らかだろう。ナチスのユダヤ人殲滅計画が初めて実行されたのは、強制収容所のガス室ではなく、41年6月後半からのソ連侵略戦の過程においてであった。ナチス親衛隊がポーランドに絶滅収容所のヘルムノやアスシュヴィッツ・ビルケナウ、ベルゼェク、ソビボル、トレブレンカなどを設立したのも、41年末から42年初夏にかけてであった。
 ソ連西部(白ロシア)では、SSの「特別行動隊」「出動部隊」「や「T4」職員による戦争捕虜・一般住民・少数民族(ユダヤ人・ロマ民族)、それに精神病院の入院患者などの大量虐殺が行われた。その延長戦で絶滅収容所でのユダヤ人殲滅計画も遂行されたとみるべきであろう。1)障害者政策 2)赤軍捕虜虐殺政策 3)ユダヤ人・ロマ民族殲滅政策のナチス諸政策が、相互に関連しあっていたことは明白であると考えられる。
・ナチスの戦争捕虜となったソ連人の運命
 ビルケナウに隣接したもろでソ連人捕虜が射殺され、その遺体は幾重にも重ねられ、大きな共同墓所に埋められた。墓所の長さは50-60m、深さ・幅4m。腐敗した遺体が悪臭を放ち、死体を数百人のユダヤ人特別部隊が掘り出し、焼却。作業終了後、約300人のユダヤ人が、ガス室で殺される。
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P76 最期まで「国民基金」を拒み続けた元「従軍慰安婦」姜徳景さん 長沼節夫
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