まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人達へ

2025年9月22日

新聞業界の現状を知りましょう。
以下「まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人達へ」より気になったところを引用します。
筆者は元日経記者のようです。記事分析は2001年4月。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/
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新聞記事徹底分析「大新聞は何を伝えているのか」
*筆者は、全国紙記者として警察、行政、企業の各記者クラブに計3年所属し、約1千本の記事を書いた経験があり、記事が紙面に載るまでの過程、つまり裏舞台を十分、理解している。また、少なくとも4紙に3年間、日々、眼を通してきた。筆者と同等以上の経験を持つ者が定義に沿って情報収集を行えば、誰でも同じ結果になるはずである。

*四紙(朝日・読売・日経・毎日)の広告面積の合計は、全面積の5
3.7%を占めた。

*こうした発表モノ&独自ニュースとは対照的に、ほとんどなかったのが、ルポと調査報道である。ルポは全体の1.9%、調査報道は0.5%に過ぎなかった。以下にすべて列挙したが、いずれも本格的なものではなく、ルポはその多くが100行足らずの短いもので、調査報道も単なる世論調査であった。

*新聞に占める広告の比率は、53.7%もある。広告は、基本的に権力が発した分りやすい「発表モノニュース」に他ならないから、記事の体裁をとっているものと合わせると、実に全体の74.9%が権力の発表モノで占められていることになる。「独自ニュース」(権力のリークもの)や「企画・傾向モノ」(発表モノをかき集めたものがほとんど)のうち、政・官・業がネタ元となっている記事を含めると、実に全体の82.0%にも上る。権力の広報紙(=官報)であって、ルポがほとんどないことから明らかなように、いくら読んでも現場の状況は見えないのだから、読んでいて面白い訳がない。新聞社の実態は、もはや広告代理店に近いのだ。それでも読者は毎月4000円前後のカネを払っているのだからおめでたい。

*新聞社は、戦後から現在に至るまで、ページ数を増やし続け、広告スペースを増やすことで利益を拡大してきた。朝日新聞社は30年前の1971年、24ページだったが、今や平均37.7ページで発行している。日経は同40.5ページまで拡大し、最大48ページ印刷が可能だ。しかし一方で不景気から記者の数は減らす傾向にあり、紙面を埋めるのに最も都合が良い発表モノの記事に頼る傾向は、強まりこそすれ、弱まることはない。

*重要なことは、読者が旧来の新聞にカネを払っているうちは、何も変わらないということである。朝日のあの記事がおかしいとか、毎日のあの報道姿勢に疑問がある、などと騒いでいるうちは、新聞社は左うちわだ。購読していることが前提になっているから、経営者は何も困らないし、変える必要性を全く感じない。読者が疑問を感じた場合にやるべきことはただ1つ、すぐに定期購読を打切り、インターネットサイトなど他の情報収集手段に乗り換えることである。

*しかし、再販制度や記者クラブといった“護送船団”行政に手厚く守られてきたため、かつての銀行のように、他社と横並びのサービス(記事内容)なのに、のらりくらりと生き延びている。これは本来、参入できるはずの新聞社の機会を奪い、ひいては言論の多様性を奪うことにより社会的損失を生んでいる。公正取引委員会は、戦後半世紀もの間、新規参入がなく、残っている大新聞はみな100年以上前から存続しているポンコツばかり、という事実を重く受け止め、競争政策を進めるべきである。

*私は問題解決志向の調査・分析を行った。調査結果より「旧来型」新聞社の絶望的な姿と限界がより鮮明になり、問題解決のためには旧いものを壊し、新しいものを創るしかないことも明確になった。あとは実行あるのみである。

*それでは、肝心の新聞本体に価値はあるのか。ニュースは、テレビやインターネットのほうが断然、速い。真夜中にネットで情報を得た人にとって、翌日の新聞を読んでもdejavu(既視感)を覚えるだけである。朝刊を読んで、それだけを材料に午前9時に開くマーケットで勝負をしようなどと考えたら、敗北は決まったようなものだ。新聞には午前三時ごろまでに起こったことしか載らない。午前3時から9時までに起こった出来事はテレビやネットでしか流れないし、新聞がスクープ(「山一自主廃業」や「3行合併」の類い)しても、それが重要なものなら、午前5時には速報が YAHOO! NEWS などのネット上を流れている。NIKKEI NETを見ればタダで概略を知ることができる。常時購読する理由には全くならない。気になるなら、コンビニかキオスクに買いに行けば良い。せいぜい、年に数回程度のことに過ぎない。ちなみに田中康夫知事はYAHOO-NEWS-headlineをホームに設定しているというし、昨今ではオン・デマンドのニュース映像まで取得できるようになってきた。

*ネットで情報を得たら、それはデジタル化されているのでコピーして容易に保存や加工ができる。しかし、新聞は場所をとり、ゴミが増え、廃棄コストがかかる。後から必要になっても、検索さえできない。新聞紙の古紙混s入率は五割程度なので、自然林を進んで切り倒すようなものだ。環境主義の時流に反する。

*ネット上のニュースで気になるもの(そんなに多くないはず)があったら、すぐさまコピーし、キーワード検索すれば関連情報は山のように出てくる。最近は省庁も発表資料をホームページに公開しているので、原文でも確認できる。国際問題ならなおさら原文が重要である。新聞社が加工したものは変に脚色さ黷スものが多いので、信じないほうが賢明だ。記者クラブの配付資料をそのまま載せているか、権力と癒着してニュースを貰うために権力のPR記事ばかり載せているので、知らず知らずのうちに権力に都合の良い情報で洗脳されてしまうリスクがある。また、数が少ない外信記事は特に偏向度が高いので(米国議会での対日圧力は常に大袈裟に見出しを立てる傾向にある)、事態を見誤る。ネットで速報を得たら、原文で確認するほうが良い。特に米国の情報公開は進んでいる。

*社説など読む価値がないことは、賢明な読者ならとっくにわかっている。特に我々若年層が社説を話題にすることは皆無に近く、電車の中で読んでいるのを見たこともない。新聞社は読者がどこを読んでいるかというマーケティングをしない(つまり、読者など無視している)が、その理由の一つは、社説が読まれていないことが日の目にさらされることを恐れているのだろう。完全な自己満足の産物である。

*新聞に載っている情報は、誰もが知っているので価値が低い。
まず新聞には雑誌のような市場メカニズムがないから、読者のニーズをつかんでいない。マーケティング調査は本当にやっていないのだ。これでは内容が独りよがりのものになるのも当然である。また、社員に専門性がないのも質が劣る原因だ。大新聞の社員は、高賃金や終身雇用と引き換えに奴隷化されているので、専門性を身につけるために途中で留学できないし、他の職業で専門性を身に付けてから転職してきた人でもない。日々の内輪のスクープ合戦に明け暮れ勉強する時間もないから、見識を磨ける環境にはない。雑誌は、週単位なので特集記事にも余裕がある。取材も緻密だ。

*それでも長年の慣習によって「新聞で確認しないと気が済まない」という病にかかっている人や、「パブロフの犬」のように朝が来ると自動的に新聞を探してしまう人は、全ての記事の前に「権力者・体制側の見解では」との一文を意識的に入れて読むことだ。新聞は確かに、過去に起きたことについての明白な嘘は余り書いていない。訴えられたら負けるからだ。匿名性が高く、玉石混合のネットとの違いはそこにある。しかし、新聞は載せる事実の取捨選択の時点で、権力に都合の良いものになっている。実際、規制緩和の進ちょく状況や、情報公開法推進派の動き、再販制度改革の動きなど、読者にしてみれば重要と思われる多くの事実が、巧妙に消し去られている。有権者として、生活者として、消費者として重要な情報は載っていない。従って、もし新聞を読むのなら、文春、金曜日、噂の真相などの各種雑誌と見比べて、何が載っていないのかを確認する程度で良い。

*ジャーナリズムとコマーシャリズムは、巨大部数では両立しない
そもそも、ジャーナリズムと商業主義は、一国の中で三百万とか八百万部という規模では、絶対に両立し得ない。欧米高級紙のように、数十万部なら可能かも知れないが、既に現状の日本の新聞社は恐竜のように図体ばかりでかくなってしまっている。百年後には、人類の教育水準と知的レベルが上がり、百万部規模のジャーナリズム新聞が成立しているかもしれないが、とにかく現状は不可能だ。構造的に弱体化していくのは、むしろ必然だ。

*新聞社は国民の「知る権利」に答える使命を負っている以上、権力の内部情報を明らかにしていくのが重要な仕事の一つだ。そうであれば、自らも積極的に開かれた組織にしていくのが好ましい。そうしないと棚上げ批判を受けても仕方がないからだ。しかし、新聞社は情報を極度に閉ざしている。決算書類は、何と社員にさえ公開されていない。放慢経営ぶりがはっきりするのを恐れているのだ。これでは官庁や銀行に情報公開を求めても説得力がない。

*『これはいけない、何とかしなくては』と思ったのは、ある若者が、ネット関係のビジネスをやりたくて、ベンチャー企業と並行して日経も受けていると聞いた時だ。結局、彼は、日経を先進的な情報産業だと勘違いして、大手コンサルティング会社を蹴って入社してしまった。もちろん実態は典型的なオールドメディアで、何と記者の多くが電子メールアドレスさえ持っていない有り様なのであるが…。(その後、結局、半年程で辞めてしまったそうだ)

*99年1月現在、社内の電子メールアドレス数は約2300で、これは全社員(約4000人)の6割にも満たない。そもそも、それ以前に、記者端末が社内システム内部で完結していて外部と電子メールの送受信ができないため、取材で電子メールを使うことができないのが実態だ。「社内メール」も、文字数が限られており同報機能もなく、不便この上ない。送受信できるのは何と文字だけで、「エクセル」等のファイルのやりとりもできない。容量が極めて少なく、半年もすればデータを消す必要まで出てくる。社内における情報の共有化は全く行われておらず、グループウェアも存在しない。情報は全て、個人の頭の中にのみ存在し、共有して活用するナレッジマネジメントの発想はゼロ。2001年を迎えた現在でも状況に変化はなく、何と、4年前に与えられた重たいパソコンを、全員で使っているそうだ。こうした効率性を無視した経営は、『規制産業』でしかあり得ない。

*社長は「2010年ごろには、電子メディア収入が、総収入の15%ないし20%くらいになってほしい」(99年1月社内報)などと希望的観測を述べているが、ドッグイヤーと言われる情報通信に関して10年以上も先のことを述べている時点で、程度がわかるだろう。確かにNIKEI NETのアクセス数は他社よりは多いらしいが、「現状では電子メディア局の事業別収支はかなりの赤字」(99年6月社内報)と専務も説明している通りで、所詮はオールドメディア的発想から抜けられない体質を持った会社なのである。

*遅れる人権意識
 この会社には、組織的な女性差別が確かに存在する。セクハラが日常的であることは容易に想像できるだろうから敢えて述べない。これは業界共通の常識だ。それ以外に、日経固有の問題として、採用時の差別がある。例えば99年入社の場合でいうと、新卒(中途採用はしていない)35人のうち、女性は2人だけだ。これは全体の5%程度に過ぎず、例年、大差はない。本音では、男だけ、それも(毎年必ず最大数を採用する)早稲田卒ばかりを採用したいのが見え見えなのだが、さすがに世間体があるから、アリバイ程度に2人とるか、といったところである。差別意識丸出しだ。

*常識的に考えれば、バランスのとれた紙面を作るには当然、女性の視点というのは不可欠である。世の中の半分は女性なのだ。男ばかり、それも早稲田卒ばかりを集めて、いったいどうやって社是でうたっている「中正公平」を保てるというのか。

*確かに、合併や社長人事といったカネになる情報をとってくるには、寝技が得意で使い減りしない早稲田の男が一番都合が良いのだろう。軍隊的な規律を乱す女はいないほうがいい、と言いそうなデスクは沢山いる。しかし、それでは、公の役割を無視してカネ儲けに走るという新聞社としては全く望ましくない姿を、自ら浮き彫りにさせているだけだ。

*人権という点で言えば、この会社では生存権が保証されない。睡眠3時間を挟んで丸2日間働くスケジュールが当然のように組まれているし、嫌煙権や禁煙、分煙という概念も存在しない。毎日、タバコの煙に巻かれて仕事をしなければならないので、肺は真っ黒である。異義を唱えようものなら、「タバコを吸ったほうが能率が上がる先輩記者が多いんだから仕方ないじゃないか」と部長が真顔で言う会社であることだけは、体験者である私が保証する。

*勿論、休む暇はない
 実際に消化された休日は、1人年間平均98.2日(97年11月~98年10月の東京編集局)しかない。完全週休2日制だと119日だから、一般企業よりも実に丸1カ月分多くも働いていることになる。

*新聞記者というキャリア
 新聞記者という職業は、つぶしが効かない。正確には「特に若い頃は」転職が難しい。なぜかといえば警察担当になって毎日副署長や刑事を追い回す「サツ回り」や、記者クラブで発表される情報の処理は、健全な市場競争で必要なスキルでは全くなく、規制下でしか通用しない内輪の争いのための「遊び」でしかないからだ。本来的な付加価値はゼロに近い。そして、徹底した年次主義のおかげで、どんなに頑張っても、上がつかえているうちは活躍できない。日本企業特有のゼネラリスト志向と癒着防止のためもあって、1、2年でどんどん部署も担当も変わるため、専門性も身につかない。45歳を超えるくらいになって運が良ければ大学教授や独立した専門記者になれるかもしれないが、それまではひたすら耐えるのみだ。この業界で絶望した記者や経営方針に反発を感じている記者が多い一方で離職率が低いのは、単に転職先がないという重要な理由があるのだ。

*新聞業界は、新聞記者に言論の自由を与えよ
 もし新聞社の冠を降ろしたくないのだったら、少なくとも、新聞記者に言論の自由を与えよ。新聞記者の良心を握りつぶすのはやめてくれ。経営者よ、公共の利益のために働きたいという希望を持って入社した記者の良心を踏みにじるな。記者は、何も企業利益のためだけに入社した訳ではない。そもそも新聞社は明らかな公的企業なのだから、むしろ会社の利益に反することも積極的にしなければならないし、それを評価指標としなければならない。現場の記者が、会社の既得権や利権について少しも批判的なことを対外的に言えないなど、とんでもないことだ。あなたたちに、そんなことを規制する権利はない。

*過去に、どれだけの記者が言論を封殺され、絶望し、辞めていったか。これは社会的損失であり、もはや犯罪である。「社会の自浄作用」を失っているのだ。あまりの理不尽な環境に嫌気が差して辞めていく記者も多い。

*自己変革は無理
 なぜ個人の言論の自由が重要なのかと言えば、経営者サイドからの改革は、絶対に無理だからだ。株式会社は、株主の利益を追求する建前がある。記者クラブや再販といった利権を手放すことは、社会全体のためにはなるが、日経の経済的な利益には明らかに反する。自ら利権を手放すことで読者の信頼を勝ち得て部数増につながるかと言えば、残念ながら300万もの読者を平均すれば、知的・倫理的レベルはそれほど高くない。欧米の高級紙のように、収入レベル・知的レベルが高くジャーナリズムを理解できる数十万の読者だけを相手にしていれば良い、という訳ではないのだ。

*お人好しな日本の消費者
 日本の新聞は明らかに割高だ。例えば米国のワシントンポストは1部25セント(30円弱)で、月極め料金も日曜版も含めて10ドル60セント(約1200円)でしかない。ニューヨークタイムズも4週間の宅配料金が14ドル40セント(2000年1月現在、マンハッタン)。勿論、年中無休だ。日刊新聞のくせに業界全体がカルテルを組んで一斉休刊日を設けている日本の新聞社とは、読者に対する姿勢が180度異なる。内外価格差がこれほど大きい消費材も珍しいが、新聞社(とその系列下に収まったテレビ、活動の場を奪われるのを恐れる知識人、記者クラブを通してメディアと癒着した官僚)が巧妙に隠しているため、読者にはあまり知られていない。電気やガスなど公共料金が米国より2、3割高いだけで記事にするくせに、同じ公共の役割を担う新聞の価格が3、4倍なのに記事化しないとは、何たることか。

*「『輸出先』韓国で先行する記者クラブ改革」
 韓国に、悪名高き記者クラブ文化を「輸出」した日本。その輸出先の韓国では、この一年の間、新規参入のネット新聞社や市民団体による法廷を巻き込んでの改革が進み、地方では新聞社が自ら記者クラブ解体に踏み切る例も出た。
*新興インターネット新聞「オーマイニュース」※1オーマイニュースは、「すべての市民は記者である」との理念で99年に創刊。今では市民記者1万人以上が登録されており、1日60万人以上のアクセスがある。金大統領との単独インタビューも実現。