週刊金曜日86号1995.8.11目次、「日帝支配」の象徴 旧朝鮮総督府
P10 15年か50年か、それとも70年戦争か 田所竹彦 戦後50年侵略戦争を検証
本誌第82号「編集部から」で本多勝一編集長が「満州事変から敗戦までを指す15年戦争という表現があるが、日清戦争から満州事変まで切れ目なく連続しており、50年戦争というべきではないか」と述べていた。
・拡張主義的な動きの始まり
「日本の70年戦争」(丸山静雄著、新日本出版社)、1874台湾出兵を手始めに、朝鮮、ロシア、中国との戦いを繰り返し、中国との全面戦争、インドシナ進駐、太平洋戦争に至る1945年の敗戦までの71年間を、国益の名のもとに武力による対外拡張を続けたひとつながりの戦争とみるのが、丸山さんの視点です。
「勝った、勝った」は俗耳に入りやすく、新聞が売れるのです。日本のマスコミが明治の早創期から結果として大勢順応型の姿勢をとり、結果として戦争協力を続けたことはいましめる教訓とすべきでしょう。
・大陸征服を目指す野望への非難
P12戦争は本当につなっがていたのか
これからは、アジアの人びとえお積極的に意見を交わし、改めていく点があれば改めていくべきでしょう。
・平和一色でなかった戦後50年
当事者がよい理解者と限らないことは、かつて職業軍人として現地も踏んだ法務大臣が「南京大虐殺はでっち上げ」などと言い出した例を持ち出すまでもないでしょう。個人的経験にこだわるとかえって全体がみえなくなる。「当代に史を立てず」という中国の言葉には道理があります。
P34取り壊される「日帝支配」の象徴 旧朝鮮総督府
建物は消えても心の傷は消えないーソウル市民の声 牛尾智
1993.8金泳三大統領が、遂に取り壊しを政府に指示。ドームと柱の一部が独立記念館に保存。
P36風水地理説と「大日本」の文字は、韓国人なら皆知っている、という。
P40建築美に彩られた 植民地支配のシンボル 写真・伊藤孝司 解説・本多昭一
光化門と旧朝鮮総督府
光化門は総督府庁舎建設の際に撤去されようとしたが、民衆の反対と柳宗悦らの努力により破壊は免れ移築、日本敗戦後、ほぼ元の位置に戻された。







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