週刊金曜日51号 1994.11.18目次,731部隊を追って第3回

731部隊を追って 第三回 魔界の記憶 西野留美子
P42 生体実験の犠牲になった多くは死刑囚だったが、裁判にかけられぬまま「特移扱」により、731に送られた。国家の作った「法律」によって、「実験材料」は供給されたのだ。
しゃべることの重さ
(略)「たびたび飛行機で安達実験場に行ったよ。実験に使う『マルタ』を飛行機やトラックで運んだこともあった。安達で細菌の投下実験をするときは、逃げないように何メートル間隔かで『マルタ』を杭に縛りつけて立たせ、その頭上から細菌ネズミが入っている細菌弾を落下したわけだ。
飛行機には、操縦していたわしの他に、整備士、観測士、通信士が乗っており、連携して作業にあたった。たとえば『高度一〇〇〇』と言うと、スイッチを押す。そうすると飛行機の胴腹から爆弾が落ちるわけだ。ヒュッヒュッヒュッって落ちていく。たいてい一個の爆弾に二五匹から三〇匹の細菌ネズミが入っておって、それを四、五個落とした。早くて四、五日おきに、一週間、二〇日と間を開けてやったこともある。通常の実験で使ったのは、三人から五人ぐらいの『マルタ』だ。
P43(略)731部隊石井三男班の労工として雇われていた方振玉さんは、こう話す。
「私の仕事は、あそこで飼っていた動物の餌を運ぶことでした。一九四四年のある日のことです。その日はいつもと違って、ものものしい警戒体制でした。荷物を届けにいった私は、衛兵所の建物に閉じ込められたのです」
衛兵所の建物に閉じ込められてまもなく、貨車が入ってくる音がした。机の上に乗り、透明ガラスになっている部分からこっそり外を見ると、異様な光景が飛び込んできた。貨車の中から、ひとりの首ともうひとりの足が一緒に縛られた状態の二人一組が、次々に下ろされているのだ。彼らはまるで物体のように手押し車に重ねて積まれ、防薗衣を纏った日本人が彼らを中に運び込んでいった。
「縛られていた人の中には、頭を動かす人もいた。あれは死体ではなく、生きている人たちだったと思う」。全員の生死については分からない。この場面は、中国人労工の張喜財さんも目撃したという。
「実験後」の人々

P44(略)現在東北烈士紀念館になっている建物こそが、当時のハルビン市警察であるが、ここにも「マルタ」にされる人々が収容されていたということになる。
臨陣格殺
ところで七三一部隊特設監獄に移送され、生体実験にさらされた人々とは、いったいどういう人たちだったのだろうか。言い換えれば、なぜ、このようをことが可能だったのだろうか。
この質問を元隊員に向けると、彼らの多くが「実験に使われた大人は、死刑囚だった。死刑執行の場として、七三一に送られた」という。ということは、彼らは裁判あるいはそれなりの手続きを経ていたのだろうか。
一九三八年一月二六日付、および一九四三年三月二日付で、「特移扱ニ関スル件通牒」が出されている。これにより、裁判なくして七三一送りが「法的」に可能になった。「特移扱」される対象者とは、「敵方のスパイの場合、何度逮捕されても活動を停止しない者、逆スパイとして利用が不可能な者、そして絶対に口を割らない者である。それ以外の人間の場合、思想犯、すなわち民族主義者および共産主義者で、罪状重く死刑が確定的な者、あるいは罪状は軽くても、その釈放が日本軍にとって不利となるような者」であったという(海鳴社『消えた細菌戦部隊』常石敬一)。つまり「特移扱」により、裁判にかけなくとも関東軍司令官の裁断さえ下りれば、彼らを七三一に移送することができたわけだ。
P44 性病研究
(略)「女には、特別の研究をしておった。二木班では、結核研究の他にも、梅毒など性病の研究もしておった。女に梅毒を植えつけて感染経過を観察したり、ときには直接感染実験といって、実験のためにセックスさせたりすることもあった。俺も『マルタ』どうしに性交させるのに立ち会ったことが、そうさなあ、二、三度あったかねえ。抵抗はできん。監視されておるわけで、拒否することも逃げることもできん。その結果、妊娠した女もおった。子供を産ませたり、その子供を実験に使ったことも聞いたさね。」収容女性には性病の実験が施れたというが、いったいなぜ、細菌部隊で性病の研究をする必要があったのだろうか。




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