済州島「4・3事件」の評価をめぐって,ケネス・ルオフ WEBRONZA朝日新聞

2025年9月15日

WEBRONZA 朝日新聞より引用、抄録。)
済州島「4・3事件」の評価をめぐって,ケネス・ルオフ 
0韓国の博物館は歴史をどう伝えているか
 日本の植民地支配の絶頂期に、朝鮮人は朝鮮語(ハングル)ばかりか、みずからの姓を使うことも禁じられました。こうしたことが実施されたのは、日本人が朝鮮人の民族的拠り所や文化を絶滅させようとしたからです。1945年の解放直後に、ハングルはよみがえり、朝鮮人はみずからの母語をふたたび使えるようになりました。

それは政府に反対する者を全員たちどころに共産主義者と決めつけ、弾圧は当然とする、二重の補完体制(すなわち在朝鮮米陸軍司令部軍政庁と李承晩政権)が存在していたことである。その抑圧は、しばしば有無をいわさぬ素早い暴力的な手段によって遂行されていた。

 4・3事件は暴動か?
済州島のような出来事は、残念ながらこの期間に全国で起こっていたとみないわけにはいかないだろう。
4月3日の事件と、つづいて発生した軍人による1948年10月の麗水・順天反乱は、密接につながっている。麗水・順天の軍人たちは、済州島蜂起の弾圧に荷担することを拒否したのだが、このふたつの事件の全貌が明らかになったのは、1980年代後半に韓国が民主化された時点においてである。

 同じく1980年の4・19や5・18といった光州民主化運動も、韓国では高く評価され、韓国の民主主義発展にとって重要な出来事だったと正式に認められるようになっている。しかし、こうした運動と済州4・3事件の評価には、はっきりとした区別がなされている。

済州4・3暴動と麗水・順天反乱は、そもそもその性格からして、4・19や5・18の民主化運動とはことなっています。済州4・3暴動と麗水・順天反乱は自由民主主義をくつがえし、北朝鮮と同じ社会主義体制をつくりだすことをめざしていました。最近になって、済州4・3暴動については、再評価をおこなうべきだという声が上がっています。これは政府軍が暴動を鎮圧したさいに、多くの無辜の市民が殺害されたからです。

 4・3平和記念館では殺害された多くの無辜の市民が祭られている。しかし、済州での出来事が、現に自由民主主義をおびやかす共産主義者の扇動によるものだったという見方はだいたいにおいて退けられている。

4・3平和記念館は、「済州4・3事件真相解明および犠牲者名誉回復委員会」(2000年に設立)が発表した「済州4・3事件調査報告書」に依拠しながら、1947年から1954年にかけて済州島で何があったかを次のように要約している。
4・3済州暴動は、武装した民間グループと政府軍との衝突により済州島の住民のうち2万5000人から3万人が殺害された一連の事件であった。その事件が発生したのは、主として、1947年3月1日から1948年4月3日にかけてである。最初、警察が市民に発砲したのは1947年3月1日。それから1948年4月3日に、警察と西北青年団による弾圧、南朝鮮のみの単独選挙と単独政府に抗議して、南朝鮮労働党済州支部が蜂起した。暴動は1954年9月21日までつづき、その後、封鎖されていた漢拏山(ハルラサン)地域が、ふたたび一般に開放された。

さらに済州4・3平和記念館は、提出された委員会の公式所見にもとづいて、暴動を招いた要因を3つにまとめている。
(1)食糧政策の混乱(その原因は、米軍関係者が暴利を貪ったことから生じた可能性が高い)
(2)(米軍政庁による)親日協力者の雇用
(3)米軍政庁当局者の腐敗
 こうした実情が下地になって暴動の発生した済州島には「赤の島」というレッテルが貼られることになった。しかし、共産党の活動分子はごくわずかであった(しかも、その多くは熱情的な民族主義者である)。とはいえ正式の委員会は、こうした共産主義者を4・3事件の犠牲者とは認めておらず、かれらの名誉回復はいまもなされていない。

済州4・3平和記念館は暴動を鎮圧するために動員された自国の軍についても、率直に次のような説明を掲げている。
 「第9連隊長と同じく、第2連隊長(第2連隊は第9連隊に代わって済州に派遣された)の咸炳善(ハム・ビョンソン)は、日本軍の召集士官であった」

自国女性への性的虐待
済州4・3平和記念館は、反乱の鎮圧時に広く生じた性的虐待、すなわち政府軍の兵士や将校による自国女性の虐待についても取りあげている。

慰安婦にたいする非道ぶりは、慰安婦を徴集するさいに朝鮮人による関与があったかどうかという問題を差し置いたとしても、日本人が朝鮮の人民にたいしておこなった犯罪ととらえることができる。
 これにたいして、済州島で発生した性的暴行と殺人の場合では、民族主義的な彼我の文脈は成立するわけもない。それは、たとえばこんな場面である。
 「村の娘を強姦したあと、警察官は住民を前にしてこう叫んだ。『あの女は大朝鮮青年団の女性メンバーだった。だから、やっつけたんだ』」

博物館はまた、日本の大阪につくられた済州島出身者のコミュニティにたいしても、大きな誤解があったことを指摘している。人びとは植民地時代の経済的搾取によって、故郷から離れたというのが一般的な理解だろう。しかし、多くの人が済州島から逃れたのは、解放後になされた米国と韓国政府による弾圧の結果なのだ。

この博物館では、多くのことに光が当てられているが、これもそのひとつの側面といえる。そのために、外部勢力によって朝鮮人が犠牲になったと、堂々と全国的なコーラス斉唱をするわけにはいかないのである。
ーー(引用終わり)
なかったことにする、隠す、言い換える日本の博物館より、韓国の博物館の過去から学ぶ姿勢に共感する。WEBRONZAもレベルが高くて、韓国現代史の勉強になる。こんな記事を新聞に載せにくい今の日本とは・・・。

朝鮮週刊金曜日

Posted by 中の人