週刊金曜日173号 1997.6.6目次、元慰安所担当憲兵の体験
P4強制連行ではない!?日本鋼管訴訟で歴史認識疑う判決
金景錫さん 1991.5.25東京地裁判決、時効と除斥期間で訴え退ける。面長の命令(官斡旋)による日本行きのは「当局の強制によるものとまではいえない」、ストライキやリンチについては認定。梓澤和幸弁護士
P24徹底追及自由主義史観 憲兵の掌中にあった「慰安婦」
西野瑠美子の証言シリーズ第3回 元慰安所担当憲兵の体験
日本軍慰安所「制度」は、中国侵略とほぼ同時に始まり太平洋戦争を通して敗戦まで遂行された。(中略)民間業者の責任にすり替える発言に対して「私こそが軍関与の生き証人だ」と元憲兵がその体験を語った。
P25慰安所担当憲兵 1944.3黒龍江省チチハル憲兵隊 白城子憲兵分隊 軍隊慰安所は煉瓦造りの平屋で、、25,6人ほどの朝鮮人「慰安婦」が入れられていた。17,8歳の女性もいた。チケット(慰安所利用許可証)を回収する。
P26性病検診 亡くなる「慰安婦」が多かったことは確かだった。日報で「慰安婦」の名前を書き替えることがしばしばあったからだ。
ソ連参戦
P27引き揚げ列車 「慰安婦はどうしますか?」上官は「ほっておけ!」と乱暴に言い放った。「みんな帰るんだ!」市川は上官の命令に背いた。市川は、先を争って人々が乗り込む無蓋の中に、無理やり朝鮮人「慰安婦」や居留朝鮮人を押し込んだ。
あの戦争は何だったのか
歴史の事実を視つめる会 加害の歴史

巻末 転向声明 飛田勘弐 敗戦まで獄中非転向を通した者は市川正一、徳田球一、志賀義雄、宮本顕治ら数えるほどだった。「司令部が真っ先に投降した」のだから(共産)党崩壊も当然だった。




ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません