破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち
破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち、P96より引用
伊藤孝司編著、風媒社
金大日1916年生まれ朝鮮民主主義人民共和国開城市在住
朝鮮と中国の女性150人を並べ首切りを始めたのです
p100
1日40~50人もの兵隊が部屋の前に列をつくって「早く早く」とせかし、部屋に入るとすぐにのしかかってきたのです。(中略)
p101、102
私の隣の部屋にいた人が妊娠してしまいました。それにもかかわらず、兵隊たちは性行為を強要した上に、胎児を無理やり出してごぼう剣で刺し殺し、その女性も殺してしまったのです。(中略)
日本の敗戦が決定的になった時、兵隊たちは私たち朝鮮と中国の女性150人ほどを2列に並ばせました。そして、小隊長が号令をかけて首切りを始めたのです。飛び散った血の雨で、私は意識を失って倒れてしまいました。気が付くと血みどろになって、私は死体の中に埋まっていました。その血の海の中で助かったのは、私の他には2人だけでした。(中略)
私が、日本人からもらった物は病気だけです。子宮は滅茶苦茶にされ、心臓は痛いし、大腸をやられたのでいつも下痢をしています。
日本人は、自分の娘や妻やお母さんがこのような体験をさせられたらどうしますか。だから、私にとってはお金が問題ではありません。私の12年間の苦労と、殺された女性たちについて良く考えるべきです。(後略)
*本より、慰安婦にさせられた経緯の略
・家が貧しく米と引き換えに12歳のときお手伝いさんとして、金持ちの家へ、その後日本人の紡績工場へ売られる
・1932年、日本人「福田」に「食べ物に困らないところに連れて行ってあげる」と言われ、汽車で釜山港へ、船で下関で、日本人シズエを名乗らされ、大阪の病院へ
・18歳のとき院長に襲われ、1934年見知らぬ日本人へ引き渡され東京へつれて行き、軍隊の「従軍慰安婦」として満州、上海、漢口、南京に送り込まれた。(以上引用とまとめ終わり)
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右翼が怖くて難しかろうが今こそ、旧日本軍の被害にあったアジア全域の人々のルポ、掘り起こしを新聞等で行えないだろうか。生存者もかなり少なくなり(残された時間も少ない)私含め戦後派の若者には意識的にこのような書物を読まないと日本軍の侵略行為は巧妙に隠され、なかったこと、戦争として美化される風潮になってしまう。過去の反省、被害国への共感尊重にはまず事実の蓄積が必要だろうと思う。


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