永野茂門法相に感謝する
週刊金曜日26号(1994.5.20)貧困なる精神26より引用。


・現職の法務大臣が南京大虐殺について「でっちあげ」つまり捏造だと公言したのだ(五月四日朝刊)。その後、就任わずか一〇日にしてこの法相永野茂門氏(新生党)が辞任する(略)
・ベトナム関係の著作の中で、ある政府関係者の発言を「発表モノ」として書いたところ、それを私の発言にスリかえて株式会社文芸春秋の雑誌『諸君!』で「筆を折れ」と非難した評論家がいる。(略)にもかかわらず、この大改竄を合法とした裁判官が、東京高裁の丹宗朝子裁判長であり、同地裁の筧康生裁判長(当時)である。
・報道によれば、永野法相は陸軍幼年学校出身である。幼年学校といえば(略)それはもう大変な「秀才」でだった。旧制高校は入試の困難さで定評があったが、幼年学校はそんなどころではない。あれほどの「狭き門」は特殊な分野は別として、フツ-の公立学校にはもうないのではなかろうか。要するにそれほどの「大秀才」が、ごらんの今の永野氏なのである。かねて「秀才度」や「有名度」「学歴」「地位」などと、人間としての価値というか人格はもちろん真の意味での「アタマの良さ」などとは、実はなんの関係もないことを体験的に知ってきた。今回もまた「その一例」を加えたことになる。要するに学校秀才というのは、そのときの体制が求めるモノサシにうまくはまっているというだけのものなのであろう。今でいう登校拒否児の方が、むしろ害毒に対するセンサーが敏感なため人格が破壊されていない可能性がある。
・小沢一郎氏のいう「普通の国」とは、侵略再開派が「普通の」思い通りにできる国という意味なのである。
余談をひとつ。『朝日新聞』は五月七日朝刊で「南京大虐殺論争の経緯」という記事を書いているが、この大論争の始まりは一九七一年に同紙が連載した「中国の旅」の中の南京の章にあった。以来約二〇年間にわたって主として文春系の「全否定派」と「南京事件調査研究会」(洞富雄代表)の学者やジャーナリストとの間で論争がつづいて文春系の敗北となる。しかし朝日の記事は「論争の経緯」としながらほとんど教科書裁判(家永訴訟)のことばかりで、この実際の大論争にはまるでふれていない。小野賢二氏のはたした重要な役割も全く出てこない。このごろ右翼に襲われつづけて、こんなところにまでビビっているのだろうか。それとも記者の単なる不勉強か。
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引用記事の著作権は『週刊金曜日』および本多勝一さんにあります。


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