戦後補償 731部隊 週刊金曜日38号

2025年9月19日

週刊金曜日第38号1994.8.12 P19より写真と以下引用。
731部隊 西野留美子
日本の歴史教科書に、七三一部隊の史実は記録されない。家永教科書裁判では、その記述の全面削除をめぐって争われた。しかしその過去を記録するには「信用に耐え得る専門的学術研究がなく」、教科書に取り上げるのは「時期尚早」という見解が最後まで効力を有し、七三一部隊は歴史教科書に幻となった。
 戦後、研究資料と引き替えに、部隊長石井四郎北野政次をはじめ、七三一部隊高官の戦犯は免責され、東京裁判で七三一部隊の戦争犯罪は一切明らかにされなかった。細菌研究データは、その後、アメリカの細菌研究の礎になったといわれる。戦犯免責、戦争犯罪の不問、資料「没収」。こうして秘密部隊七三一の歴史は、戦後も秘匿・隠蔽の歴史を刻み続けた。
 確かに戦後、七三一部隊関連資料はアメリカに渡ったが、実は一九五〇年代後半に日本に返還されていることが、判明しているのだ(一九八六年九月一日、米下院復員軍人委補償問題小委学会公聴会・ハッチヤー国防総省記録管理部長談)。にもかかわらず、戦史室に保管されているだろうその資料は、いまだに全面公開されない。七三一部隊の史実を明らかにする責任、明らかにしてこなかった責任は、専門的学術研究の不備にあるのではなく、資料を公開しない日本政府にこそあるのではないか。(略)
 満州第七三一部隊をはじめとして生物兵器の研究・開発に携わった部隊は、牡丹江、孫呉、林口、ハイラルの支部、長春の第一〇〇部隊(関東軍軍馬防疫廠)、さらに北京の第一八五五部隊、南京の第一六四四部隊、広東第八六〇部隊、シンガポールの第九四二〇部隊と、そのネットワークは各地に張りめぐらされた。反満抗日運動家や捕虜などに生体実験を施し進められた生物兵器研究は七三一部隊のみで行なわれていたわけではないのだ。
 一九八九年に東京・新宿区戸山から発見された身元不詳の人骨は、それらのネットワークを統括していた軍医学校跡地から発掘されたものである。しかし厚生省はその関連を徹底究明することなく、人骨の焼却処分を急ごうとしている。焼却差し止め請求裁判において、国側は人骨と「七三一部隊」との関わりを認めようとはしていない。
 昨年七月以来、全国各地で七三一部隊展が開催されているが、そうした市民運動の中で、中国黒龍江省平房に一部が現存している七三一部隊本部跡の保存罪証陳列館新館建設のための基金活動が、日本の市民団体の間で動き始めた。戦後五〇年近い歳月を経てしまった現在、日本の戦後責任を闘う中で起こった民衆意識の表出である。(略)
ーー(引用終わり)
今年戦後70年を記念して侵略戦争責任を忘れないために731部隊展ほか旧日本軍の戦争犯罪展の開催を希望したい。森村誠一氏の著作を読みたくなった。