(週刊金曜日) 創刊600号に想う(本多勝一)

2025年9月22日

創刊600号に想う(本多勝一)
 今週号は本誌が13年前に創刊されてから第600号にあたる。

「よくぞここまで」と、1993年の創刊当時をかえりみて想う。平坦な道のりではなかった。創刊にいたるまでの最初の契機にさかのぼれば、1990年11月20日、新井直之氏(共同通信、のちに創価大教授)と打合せをしたことが、「XY新聞」と表紙に書かれたノートに記されている。私の朝日新聞社退職の前年である。

 XY新聞とあるように、当初の目的は新しい日刊紙だった。このノートを見ると、新井氏のあとやはり共同通信の原寿雄氏や斎藤茂男氏をはじめ、筑紫哲也氏・岩見隆夫氏(毎日新聞)・石川真澄氏(朝日新聞)・秦正流氏(同)・疋田桂一郎氏(同)・黒田清氏(読売新聞)・長沼節夫氏(時事通信)などの新聞人、さらに井出孫六・松浦総三・國弘正雄・江口圭一・袖井林二郎・安東仁兵衛・岡庭昇等々、ジャーナリズム本来の正統に理解ある学者・評論家各氏たちと会っている。

 こうした諸賢を発起人として日刊紙をたちあげるため、その具体的方法を“先輩”格たる『ハンギョレ新聞』に学ぶべく韓国を訪ねたのは、1992年の5月だった。

 だが、日刊紙は不可能ではないものの、実働部隊が少なすぎた。そのかわり最少限の人数で、かつ難題の配達関係に無縁なメディアとして浮上したのが週刊誌である。『朝日ジャーナル』の休刊で硬派週刊誌がなくなったときでもあった。

 創刊までに最もエネルギーを必要としたのは、定期購読者を一定部数まで募って経営を安定させることである。全国各地で編集委員による講演会が開かれ、とりわけ朝日新聞社で同期だった筑紫哲也氏とは多くの場で一緒だった。話のへたな私と違い、彼の巧みな話術で満場の聴衆に本誌の意義を理解してもらえたと思う。

 1993年の創刊号は、経営を磐石にできる定期購読者数に支えられてスタートできた。ただ、創刊数カ月で初代編集長が都合で退職したため多くの人に応援に加わってもらうなど多少の波乱はあったものの、社員の熱意と、何よりも質の高い読者に支えられて今日を迎えた。

 日本の現状は本誌の意義をますます高からしめている。読者諸賢の一層のご支援を、編集委員の1人として社員とともに熱願します。

http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol600 より2006/03/31