沖縄 #戦争マラリア 事件が突きつける「戦後」の意味 藤原健 #週刊金曜日 1995.1.20


創刊当初の「週刊金曜日」を再読中。
週刊金曜日 1995.1.20 第58号 P48-49より引用。
沖縄・八重山繕島で一九四五年、マラリア汚染地区にー般住民を強制疎開させる軍命令が下った。
多数の死者を出したこの「マラリア死」を巡って、国家補償を求める遺族らをわが国ははねつけてきた。
今年は敗戦五〇年。国内外に山積したままの「戦争責任」の現場のーつを、新聞記者が現地に追った。
・歴史に埋もれていたマラリア死
沖縄県八重山諸島の波照間。人が住む島としてば、日本最南端に位置する。
第二次世界大戦末期、全島民「1590人(当時)が西表島に強制疎開させられ、その30パーセン
トに当たる477人がマラリアに感染して死んだ。うち66人が当時、国民学校と呼ばれたこの小学校の子供たちだった。
西表島・南風見にも足を運ばねばならない。
うっそうとした密林地帯。島民が疎開させられた当時は、マラリア汚染地区だった。昼間も薄暗い木々の間をしばらく歩くと、白い砂浜の海岸に抜ける。散在する石畳の一つに、「忘勿石-ハテルマシキナ」の文字が刻み込まれている。
「この石を忘れるな」という意味だ。刻んだのは、波照間国民学校の識名信升校長(1988年没)だ。
・陸軍中野学校の残置工作員
強制疎開には、陸軍中野学校の残置工作員の影があった。中野学校は、38年に設立されたスパイ養成機関だ。沖縄戦の直前、軍が配備されていなかった伊平屋島、伊是名島、粟国島、久米島、多良間島と八重山諸島の波照間島、黒島、与那国島、西表島の各離島に、計11人の工作員がいずれも身分を偽り、教師として潜入した。情報収集やゲリラ戦の組織が目的だったという。(略)
<抗議書>(原文のまま)
山下虎雄
○○○○((本名)殿
あなたは、今次大戦中から今日に至るまで名前をいつわり、波照間住民をだまし、あらゆる謀略と犯罪を続けて来ながら、何らその償いをせぬどころか(略)。
あなたは、今次大戦中に学校の教師の仮面をかぶり、また国民を守るはずの軍人を装いながら、島の住民を守るどころか住民を群同による抜刀威嚇によって極悪非道極まる暴力と横暴をふるまい、軍の命令といつわり、島の住民を死地マラリアの島へ医療品等皆無のまま強制疎開させ、全島の家畜を日本軍の食糧に強要させ、全島を家畜の生地獄にさせ、またその後は食糧難とマラリアで全島を人間の生地獄にさせ、そのために家系断絶や廃家を続出させたほどの悲憤の歴史的事実を、あなたは忘れたのか。(略)
昭和56年8月7日
抗議書の最後には、島の町議、各集落代表、老人会・婦人会・青年会代表・区長らの署名、捺印がある。文字通り「全島民の怒り」だった。
・住民をスパイ視する日本軍の論理
「敵が上陸したら、住民が捕虜になる。軍の内容を知られ、スパイにされてしまう。我々は(中野学校で)そう教育されてきたんだ。だから上陸までに疎開を完了させる必要があった」(略)
この「山下虎雄」の名は、「星になったこどもたち」が捧げたられた学童慰霊碑に、悲劇を招いた張本人として刻んである。
・軍名を明記した知事の日記
・戦争責任をとらないわが国
わが子をマラリアで失った女性は「日本軍は私たちを守らなかった。逆に、死に追いやった。憲法をきちんと読めば、自衛隊だって軍隊さ。今、沖縄に自衛隊がいるけど、いざというときにどんな行動をするかねぇ。ヤマトンチューは恥ずかしくないのかねぇ」と言った。
「戦争マラリア事件」は、アジア各地での戦争犯罪を命令し、、そのことを戦後も放置し、隠蔽し続けてきたこの国の負債と恥が沖縄の離島にも及んでいたという意味で、歴史に刻印されるべきもの、とも思う。
ふじわら たけし 毎日新聞大阪本社記者。1950年、岡山生まれ。著書に「沖縄戦争マラリア事件」(共著、東方出版)


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