週刊金曜日69号 1995.4.7 目次、丹波マンガン記念館長 李貞鎬氏死去
P5 金曜アンテナ 丹波マンガン記念館長 李貞鎬氏死去
62歳、長年の坑内労働により発症した、じん肺との18年3カ月にわたる闘病の末の死だった。
太平洋戦争下では、強制連行された朝鮮人労働者も鉱山に投入された。鉱山は零細経営が大半で、「狸掘り」といわれた手掘り作業が中心だった。劣悪な労働条件下で、多くの犠牲者も出た。
李氏は、マンガン鉱山の飯場を転々とする。のちに鉱山経営者となったものの、安価な輸入鉱石に押され、1976年閉山。京都府下で最後の閉山となった。
李氏は1989年に私財を投じ、2年の歳月をかけ手作りで記念館を開館させた。マンガン鉱山の歴史と在日朝鮮人労働者の過酷な坑内労働の実態を後世へ継承させるためであった。(後略)(ルポ塾 栃原哲則)





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