国際政治を考える際に「覇権」という言葉はとても重要ー田中 宇

2025年9月29日

戦争の現象面だけを追わず、なぜ戦争が起きるのかを資本家の論理から国際政治で考えるのに以下参考になった。広瀬隆もロスチャイルドとか書いていたな。憲法9条を守る側も国際戦略的な平和外交方針がほしいな。それにしても英国はネオコンとつながっている?など意外に好戦的なんだな。ロンドンで爆弾騒ぎが多いはずだ。
<読みたい本>
敗戦の逆説―戦後日本はどうつくられたか  進藤栄一
東アジア共同体をどうつくるか
脱グローバリズムの世界像
日米安保解消への道 都留重人
秘密のファイル(上)(下) CIAの対日工作 春名 幹男
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覇権の起源
2008年8月14日  田中 宇
国際政治を考える際に「覇権」(ヘゲモニー、hegemony)という言葉はとても重要
覇権とは「武力を使わずに他国に影響力を持つこと」である。支配という言葉から思い起こされる、武力によって他国を傘下に置く植民地、保護国、傀儡政権などは、覇権の範囲に入らない。
 戦後の日本のように、最初は軍事占領で傀儡政権(と疑われるもの)が作られ、その後は米から完全に独立した民主主義国家として機能しているものの、60年たっても対米従属で、外交権を自主的に米に引き渡している場合はどうか。今の日本人の大多数には、米から抑圧されているという自覚は全くないから、米から日本への影響力行使は、まさに覇権そのものといえる。
 傀儡政権は、国民にとって必ずしも悪いものではない。東条英機よりマッカーサーの方が良い行政をすると当時の日本人の多くが感じ、日本は自主的に米の傀儡になった。

中国は、アジアの覇権国になりつつある。
他国の政治を動かす場合、他国の詳細な政局を把握しておく必要があり、「諜報」は覇権の重要な手口である。
(3)欧州内でどこかの国が圧倒的に強くなって英を打ち負かさぬよう、複数の国が同盟して英を潰しにかからぬよう、欧州大陸諸国を常に拮抗した力関係の中に置いておくという「均衡戦略」(バランス・オブ・パワー)の方針があった。
フランス革命を発端に、世界各地で起きた国民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させる「国民」という名のカルト信者に仕立てた。権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育とマスコミが重要なのは、このカルト制度を維持発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。

覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワークより引用
2008年8月29日  田中 宇
英のずば抜けた外交諜報力の源泉
中世以来の欧州において、国際的なネットワークを持っていたのは、貿易決済の金融網を持っていたユダヤ人だけで、彼らは金融能力を生かして各国政府から資金調達を任され、各国政府の内部事情に通じていた。
ロスチャイルド家19世紀のパックス・ブリタニカの成功に貢献
(経済の主力である金融も諜報技能が大事な業種であり、ユダヤ人の産業だ)。英のMI6(SIS)、米のCIA、イスラエルのモサドという世界3大諜報機関は、いずれも英諜報機関から派生した。米英イスラエルはいずれも、ユダヤ人の力で発展した国でもある。ソ連のKGBも強い諜報機関だったが、ロシアでは中世から経済がユダヤ人の担当だった.彼らは政治謀略だけでなく、金融謀略を行う技能もあるはずだ。
戦争や政変だけでなく、相場の暴落、急騰などの背後には、諜報機関が動いていると疑った方が良いことになる。
「ネットワーク」を使いこなす勢力は、諸国の政治を操り、世界を間接支配できることになる。陰謀論
1880年代、ウイーンの弁護士と物理学者の6割はユダヤ人だった。ナチス以前のドイツは、ユダヤ人に頼る国だった(製造業はドイツ人だが、金融や知識産業はユダヤ人という状況を破壊するため、ナチスはユダヤ人を収容所に入れた)。
(資本家との分業体制なのか、革命家、思想家にはユダヤ人が多い)
国家の実践的な政治戦略として見ると、共産主義(社会主義)は、国民を形成できるところまで国内が結束していない地域において、人々を「人民」として結束させ、擬似的な国民国家を形成する手法であり、国民意識が形成されるまで待つ手間が省ける。ファシズムは、すでに形成された国民国家で、政府への結束を強制的に強めるターボエンジン的な手法である(ファッショはイタリア語で「結束」の意)。欧州内で後発の国民国家となったイタリアとドイツで、先発諸国に追いつくために導入された。
資本主義を嫌う社会主義国に、資本家が投資するのか、という疑問が出そうだが、その常識は建前にすぎない。社会主義国と資本主義国が対立したのは1947年以降の冷戦時代だけであり、それ以前はソ連と欧米の関係は悪くなかった。
アメリカの独立と産業革命
米中枢の人々は、独立直後から、英が形成していた均衡戦略には取り込まれず、独自の影響圏を形成する戦略を持っていた。その象徴が、1823年のモンロー宣言である。この宣言は「中南米はアメリカの影響圏なので、欧州諸国は中南米の政治に介入するな。その代わり米も欧州の政治に介入しない」という宣言である。
 覇権とユダヤ・ネットワークとの関係は、なぜイスラエルやネオコンなどのユダヤ人が、これほどまでに覇権や戦争、国家システムの創設と破壊、政権転覆などの謀略に長けているのか、という疑問に対する答えとなっている点で、非常に重要である。

覇権の起源(3)ロシアと英米
2008年9月3日  田中 宇
19世紀にイギリスが覇権国となれたのは、世界最強の海軍力を持っていたからだった。そこから派生して考えられるのは「海軍力に頼るイギリスにとって、強い陸軍がないと攻められないロシアは、大変苦手な相手だった」ということである。ロシアはこれまで、19世紀のナポレオンと、20世紀のヒットラーによって侵攻されたが、いずれも侵略者の敗北で終わっている。
 英は、大陸の内陸部に影響力を行使するのは難しかった。英の対露戦略は、ロシアがユーラシアの内陸から海岸部に出てこないよう封じ込める戦略となった。日本と日英同盟を組み、1904年の日露戦争を誘発したのが、その一例である。
 他の欧州諸国はすべて、船を使って海洋を経由して探検や征服を続けたが、ロシアは例外で、陸路で探検隊と軍隊を派遣し、領土を拡大した。ロシアだけが陸の帝国だった。
 革命を使ったソ連(ロシア)の支配拡大のやり方は、すぐれた覇権戦略だった。
▼ロシア革命を支援したニューヨーク資本家

ロシア革命を「労働者の決起」ではなく、国際政治の謀略として考えると、時期的な面からも「反イギリス」的な謀略だったと感じられる。
 ロシア革命を支援していたのもアメリカ人だった。米ではニューヨークの資本家(ロスチャイルドと同じフランクフルトのゲットー出身のヤコブ・シフら)が、ロシア革命を資金援助していたことがわかっている。ソ連のナンバー2で初代外相となった革命指導者トロツキー(ユダヤ人)は、ソ連の成立直前に革命に参加する前、ニューヨークで亡命生活を送っていた。ニューヨークの資本家は、ロシア革命の黒幕だったと疑われる。
ニューヨークの資本家がロシア革命を支援したとすれば、その理由の一つは、第一次大戦によって英仏など欧州各国の植民地体制を崩壊させ、世界中の植民地を独立させて、産業革命を世界に拡大する戦略の一環だろう。
第一次大戦に際しては、米ウィルソン大統領が、戦後の世界体制の提案として「ウィルソンの14カ条」を1918年に発表している。それは、第1条に「秘密外交の禁止」を掲げるなど、全体としてイギリスの覇権体制を崩壊させる方向だった。第5条で「植民地紛争の公平な解決。人々の利害にあった国家主権の樹立」、第6条で「革命後のロシアを支援し、国際社会に誠実に迎え入れること」、そして最終章で国際連盟の創設がうたわれている。14カ条を制定したのは、ニューヨークの資本家たちが作った組織であり、この組織は第一次大戦後に「外交問題評議会」(CFR)となり、現在まで米政府の外交戦略に大きな影響を与えている。
 米主導の「世界中に国民国家を作り、世界中を発展させる」という限定なしの均衡戦略(大均衡)に拡大させる動きが、第一次大戦を機に試みられたと考えられる。
 ソ連は中国の国家建設と抗日戦争の推進に大きな貢献をしたが、もともと中国に共和国をつくろうと支援していたのはアメリカである。
▼もう一歩で世界制覇だったドイツ
ウィルソンの14カ条に基づいて国際連盟が作られたものの、創設時の議論の過程で、英が仏など他の欧州諸国の代表を巧みに誘い、議論を英好みの方向に誘導した。国際連盟は英主導となり、失望したウィルソンは、国際連盟の批准論議の中で米議会と意図的に対立し、米議会は批准を否決したため米は国際連盟に入らなかった。その後、米は欧州の政治に関与しない孤立主義に戻った。
 ソ連では、1924年のレーニン死去でスターリンが実権を握り、ニューヨークから送り込まれた国際主義のトロツキーを排斥し、ソ連一国の発展のみに注力する戦略転換を行った。
 その後、1933年にドイツでヒットラー政権が誕生し、日独が国際連盟から脱退すると、日独伊と米英仏の対立が始まり、この年、アメリカはソ連を国家承認した。ドイツは38年にオーストリアを併合、39年には独ソ不可侵条約(東欧分割の条約)を結んだ上でポーランドに侵攻した。ポーランドを扇動して独を挑発していた英は、独に宣戦布告し、英軍が欧州に上陸したものの、独軍との戦争を避けた。英は衰退し、独と戦争して勝てる状態ではなかった。
 ドイツは、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスへと次々に侵攻し、ナポレオンも成功しなかった全欧征服の実現が間近になった。あとは、いつイギリスに侵攻して占領するかという話だけになった。翌1940年、日独伊3国同盟が締結され、ソ連も加盟を希望した。アメリカは孤立主義を続けており、ユーラシア大陸は日独伊露の4カ国で分割支配される流れが見えてきた。
ヒットラーの野望が実りかけ、イギリスの運命が風前の灯火となったとき、アメリカは、ひそかに検討していた戦争作戦を開始した。1941年12月、米の戦略に引っかかって日本が真珠湾を攻撃し、日米が開戦すると、3国同盟が適用されて米独間も戦争開始となり、米は英中心の連合軍の側に立って参戦することになった。米の参戦後、戦争はやがて、連合国の側に有利になっていった。

▼英にだまされ、2度目の大戦が必要に
 米は参戦4カ月前の41年8月には、すでに英との間で大西洋憲章に合意していた。これは第一次大戦時のウィルソンの14カ条に相当するもので、民族自決権や自由貿易体制などの条項からなり、国際連合の基盤ともなり、戦後の世界体制を決める宣言だった。
 米は第一次大戦時に、英から覇権譲渡を約束されながら、ベルサイユでの戦後処理の会議の中で英に主導権をとられて騙された苦い経験があった。二度目の世界大戦で、米は、英が独にやられて本当に困窮するまで事態を放置した後、大西洋憲章によって再度の覇権譲渡の約束をとりつけた。米はその後、日本を引っかけて参戦した。日本は、第一次大戦で欧州列強が撤退した後の利権空白状態の中国に進出し、漁夫の利を得ていた。日本を潰し、中国に民族自決の共和国を作ることが、第二次大戦時の米の目標の一つだった。
 終戦にかけてテヘランやヤルタで開かれた米英ソ首脳会談の中で、ソ連が連合国を支援する見返りに、米英は、ドイツの影響圏だった東欧をすべてソ連の影響圏として認めた。戦後、国際連合が設立されると、ソ連と中国は、米英仏と並び、拒否権を持つ常任理事国として認められた。
 米英が、ソ連の連合国への協力への引き替えに、ソ連に国連安保理常任理事国の座や、東欧での覇権を引き渡したのは、ニューヨーク資本家の戦略が反映されたものと考えられる。英は不満だっただろうが、英は米の参戦によって亡国を救われた経緯があるため、米の方針に従うしかなかった。しかし英は戦後、冷戦を誘発し、多極協調型の世界体制を破壊した。

▼冷戦の本質
米政界では、19世紀末に連邦政府の財政破綻を救済して以来、多極派であるニューヨーク資本家の影響力は大きかったが、同時期に出現した、親英的な軍事大国派(セオドア・ルーズベルトら以来の流れ。第2次大戦後の軍産複合体)も強く、2度の大戦に対するアメリカの戦略は、多極派と軍事大国派の両方の意見をすり合わせて作られた。
 アメリカはユーラシアとは別の大陸に存在する国なので、米中心の世界体制(覇権体制)を考える場合、ロシア(ソ連)を「世界運営の伴侶」「ユーラシアのことは、ある程度、ロシア、欧州、中国に任せる」と考えるのが、地政学的に自然である。しかし現実は、歴史的にも、現状的にも、そうなっていない。冷戦中は、共産主義を危険視するイデオロギー的な対立があるがゆえに、米は反ソ連・反中国の戦略を取らざるを得ないのだという説明が定着していた。だが、ソ連が崩壊し、ロシアも中国も共産主義を信奉しなくなっても、まだ米には、根強い反ロシア・反中国の戦略がある。特に、軍事産業と結託する右派に、その傾向が強い。
 米の反露・反中の冷戦的戦略は、軍産複合体と英が結束し、米のマスコミを有事的プロパガンダ装置に変身させて持続してきたものであり、その構図は冷戦後も存在していると考えられる。

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Posted by 中の人