久野収 治安維持法の恐怖を語る 週刊金曜日1996.10.11号

2025年9月15日

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#共謀罪の参考。 著作権は週刊金曜日にあります。
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佐高 先生が治安維持法によって当局に捕らえられた時の状況について……。
久野 軍部によって中国侵略戦争が始められた一九三七年、私たちは雑誌論文の執筆と出版活動をしただけで捕まりました。そして二年間の未決在獄ーそればいまと違って、たいへんな精神的、肉体的拷問でした。ーののち、三九年に懲役二年、執行猶予五年の刑を言いわたされました。その時の傍聴人を詐きない秘密裁判で、弁護士はこちらの主張を一切しないんです。ただもう本人は深く反省しているから、執行猶予をいただきたいという弁論だけでした。こうしなければ、執行猶予をもらえなかった。そして、いったん、検挙、起訴、有罪となれば、たとえ執行猶予であろうと、普通人の生活から追放されて、正規の職につけないどころか、たえず警察につきまとわれ、旅行するにも、ひとつひとつ警察にとどけ出て、詐可をえなければならない。これではつづけて運動する意志などなくしてしまうのも無理ではなくなる。
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 当局は私たちの〝意識〞がコミンテルンの方針に同感していると言って追及してくる。三五年以降になると、具体的な行動ではなく、"意識〞とか〝意図"をひそかに抱いているという嫌疑だけで起訴され、投獄されるような状況になった。
 合法最左翼の労農党の演説会に至っては、入り口に警官が立っていて入場者にいちいち名前と職業を書かせていました。これでは一般学生なんか面倒がって近づかない。
一九四一(昭和一六)年には国防保安法を新たにつくり、治安維持法の拡大解釈も大きく進んで、わずがにあった思想・言論、出版、集会の自由を根こそぎ閉塞させてしまったので、時代や状況の真相が下からは全然見えなくなり、お互いにデマをとばしあう結果になった。だれかが、この戦争はあぶないんじゃないかなどと、つぶやくものなら、日本人は外側を気にする性格だから、すぐ官憲に密告する。このお上に柔順な態度は今でもどれだけ変わっているか。たとえば、公安の巡査が勝手な質問をするときには、われわれには黙秘する権利がある、つかまっでも、拒否する権利がある。そういう黙秘権や拒否権が、日本ではなかなか根ざさない。そういう市民の権利が市民のなかに根ざしてはじめて、その次の抵抗権や革命権が出てくる。
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P34 週刊誌 
(注2)「世界文化」文化一九三五年に創刊された知識人向けの理論・情報誌。三五年二月号から三七年一〇月号まで。一部二〇銭で、一〇〇〇部刊行されていた。
(注3)「土曜日」 「世界文化」で言論を発表していた反ファシズムの知識人グループが、フランス民主戦線の週刊新聞「金曜日」に刺激されて、三六年に創刊した民衆向けの週刊文化新聞。一部三銭で、第一号は三〇〇〇部印刷された。三六年七月四日号から三七年一一月五日号まで。(「土曜日」はは)京阪神地域しか配らなかったが、三〇〇〇部くらいから始めたのが、たちまち七〇〇〇部近く売れるようになった。そのうち全国に知られ、郵便切手での注文も増え、経営は黒字でした。「土曜日」の好調な売れ行きに、思想検事や特高たちは、これは、何とかしなければいかん、と思ったのではないですか。(中略)「世界文化」はー〇〇〇部刷って六〇〇部くらいしか売れておらず、しかもインテリ向けですから、まあ見逃せるが、「土曜日」のような大衆週刊誌はかえって危険だと考えたのではないか」(久野収著「市民として哲学者として」毎日新聞社)

治安維持法から破防法へ 荻野富士夫
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それでも内務・特高官僚が苦汁をなめたのに対し、思想検事を主体とする司法官僚は、ごく一部が罷免・公職追放となっただけで、大部分の組織はそのまま戦後の司法体制のなかに流れ込んだ。
P36破防法は(略)、そのための「請査」を業務とする公安譲査庁が、尾行・張り込みはおろかスパイ活動を日常的に実施していることは周知の事実であり、社会運動・市民運動への「調査」を通して抑圧的な治安機能をはたしつづけできた。
p37、沖縄基地問題をめぐを運動の高揚に対する現公安調査庁長官の発言(注8)や調査庁の機構改革の方向(宮岡悠『公安調査庁の暴走』参照)に明らかであろう。
ーー(引用終わり)
デートものぞかれる破防法のネーミングの良さ、共謀罪反対の参考に