遼寧省2025.6訪中団5-2瀋陽、張作霖爆殺現場、北大営旧址陳列館
時系列が前後したが、4日目朝、瀋陽戦犯法廷の前に、市内の張作霖爆殺現場へ行きました。

左)現場直前に石碑「三洞橋」右)列車が通過した立体交差付近が事件現場
張作霖爆殺事件(満州某重大事件)1928.6より、
1928年6月4日、北伐軍に追われ北京を撤退し奉天(現在の瀋陽)に戻る途中の張作霖をのせた京奉線上の列車が、奉天手前の満鉄線と高架で交差するところを走行中、爆破され殺された。
関東軍の謀略 戦後の東京裁判などの過程で、この事件は日本の関東軍(南満州鉄道の保護などを目的に設置された日本の軍隊)の河本大作参謀が中心になって実行された犯行であったことが明らかになった。当時日本の関東軍は、満州で最も有力であった奉天派の軍閥・張作霖を利用して満州における支配権を強めようと画策していたが、張作霖は日本に非協力的であり、役に立たないと判断し、その張作霖が蔣介石に北京を追われ、満州に戻ってくる機会に一挙に葬って満州の実権を握ろうとしたのであった。この謀略を、関東軍の河本大作大佐らは政府や陸軍上層の許可を取らずに単独で実行した。
2.瀋陽北大営旧址陳列館 百度紹介頁より、9月18日事件の現場である北大営は奉天(現在の瀋陽)の北4.8キロメートルに位置する。ここはもともと1907年に東三省総督の徐世昌によって国境防衛を強化するために建設された。軍事キャンプは400万平方メートル以上の面積を占め、建物は青レンガで建てられている。清朝末期から中華民国時代にかけて、新軍第二混成旅団、奉天軍、東北軍第七旅団が相次いで占領した。1931年9月18日の夜、日本軍は南満州鉄道の柳条湖区間を爆破し、その後中国軍に虚偽の罪を着せ、北大営を砲撃した。守備隊は抵抗しないよう命令に従って退却したが、王鉄漢率いる一部の部隊は命令に背いて反撃し、日本兵25名を死傷させた。北大営の残りの3つの建物は、戦車大隊と軍楽隊の兵舎を含む東北軍第七旅団第620連隊のものである。日本占領中は捕虜収容所と軍国主義宣伝の場に転用された。2011年に兵舎跡地として特定された後、2019年に国家重点文化財保護単位に指定された。2021年に北大営旧跡展示館が建設され、歴史写真、文化財、場面復元を通して100年の変化を紹介している。
遼寧省 更新中






















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