週刊金曜日142号1996.10.11目次,治安維持法の恐怖を語る久野収
P30-31 治安維持法も拡大解釈されて国策の厳しい批判まで取り締まり対象となった。
一億一心挙国一致したがる国民、権利は正義と結びつかなければ特権になる。
本来の法の枠を越えた権力の濫用には厳しく責任を問う。検挙、起訴、有罪となれば、たとえ執行猶予でも普通人の生活から追放されて、正規の職につけないどころか、たえず警察からつきまとわれ、旅行にも警察に届け出て、許可、つづけて運動する意志もなくす。
P32,33 当時合法の社会民主主義や自由主義も起訴、35年以降は具体的な行動ではなく、ひそかに抱いている意識とか意図の嫌疑だけで起訴、投獄の状況になった。
1941年国防保安法、わざうかにあった思想・言論、出版、集会の自由を根こそぎ閉塞、時代の真相が下から見えない、お互いにデマをとばす。日本人は外側を気にする性格だから、すぐ官憲に密告。黙秘権や拒否権が日本では市民に根ざさない。
マスコミも取材や報道の興味のために個人の自由を踏みにじる。憲法や人道に違反する法律を作った作成者、法律の執行者の行政官吏者は違法を犯している、憲法を守る義務違反で司法権を介して懲戒免職されなければならない。
P34 注4)法律で犯罪を予防する態度決定は、軍備で戦争を予防するのと同様、全く不可能である。予防法律は、やがて法律の濫用を生み、犯罪の温床や種になると官僚に思いこまれた行動や思想をまえもって法律の網にかける恐怖の干渉法になる。
治安維持法から破防法へ 荻野富士夫 GHQの人権指令の精神では1945年廃止されるべきだった治安法令のうち、行政執行法(予防検束に活用)、警察犯処罰令、爆発物取締罰則などが意図的に残された。
生き残った治安当局者 1947年末旧内務省は解体されたが、旧特高勢力の一部は警察の他部局や他省庁に温存。労働係検事(1947.9)、公安係検事(1951.12)設置。48.11元思想検事吉河光貞が法務庁特別審査局長に就任すると左翼社会運動の取り締まりに急転回。49.4団体等規制令に強化。1950.6朝鮮戦争開戦前後にレッドパージ、共産党幹部の公職追放、機関紙の発行停止。
P36 治安維持法は「国体」変革概念の拡張、破防法のキー概念は日米安保体制=公共の安全の確保の拡張。公安調査庁(1952設置)が、尾行・張り込み、スパイ活動、社会運動・市民運動への「調査」を通して抑圧的な治安機能をはたしつづけてきた。軍事基地反対運動(1953),警職法反対運動(1958)、安保闘争(1960)の過程で破防法の団体適用はついについにできなかった。オウムへの適用の先を見据えねばならない。









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