週刊金曜日134号 1996.8.9目次、南京大虐殺を「なかった」ことにしたい勢力が、必死で利用する裁判の判決(上)
P10ますます強まる戦争責任否定現象
南京大虐殺を「なかった」ことにしたい勢力が、必死で利用する裁判の判決(上)
座談会 渡辺春己 吉田裕 笠原十九司 藤原彰 本多勝一
1996.4東京地裁 南京大虐殺名誉棄損 1審判決で東史郎氏が敗訴。今回の判決をめぐる反動勢力の動き。の論評。
P11 実態研究の大幅な進展
P12否定派がやっていること
一名誉棄損の裁判であるのに、あたかも南京事件全体の証拠が否定されたような報道をした産経新聞・・。
「諸君!」、阿羅健一という南京大虐殺否定の著作をもつライターが「南京事件『従軍日記』のまぼろし」、南京事件に関する従軍日記の一つの、そのまた一部分が幻であったことをもって南京史料を載せている日記一般が判決で否定された、こういった改竄、捏造をやった上で「裁判でも否定された資料を使って南京大虐殺が創られた」という結論に持っていく。
・サギ師に通ずる手口
P13 藤原:南京事件をきちんと論証してきたわれわれの仕事が、世間にあまり伝わっていないんじゃないか。
・「否定のための否定」への対処
P14 藤原:難民区から市民を引っ張り出しての処刑だって、・・、「戦闘行為」と強弁し否定派は虐殺に入れない。
本多:土俵が違う以前に、どんな証拠をつきつられても鉄面皮、そもそもまともな相手ではない。
P15本多:「日本人とユダヤ人」というインチキ書を出したイザヤ=ペンダサン。「ばかばかしい」と専門家も放置したら、あれが大変な影響力を持った。
・マスコミの悲しき役割
吉田:南京事件の論争の経緯、何がどこまで明らかになったという到達点について新聞記者が勉強していない。右からの批判があることだけを強く意識する。両論虚構説に、大新聞やテレビでの扱いが影響力を与える。
本多:ドイツもメディアだけが特別に進歩的ではないわけで、「従軍慰安婦」の問題も含めて、これは民度の問題だ。
P22 中国人元「慰安婦」たちが語る真実 班忠義
中国山西省孟県 日本軍は山西省県内に多くのトーチカを建設した。トーチカに中国人女性を強制連行し、一時的に監禁し性的暴行を加えるのが、この地域の戦争被害のパターンの一つである。
・「蓋山西」という美人の悲運 彼女の本名は侯冬娥と言い、私が到着する1年前にこの世を去っていた。彼女が残したのは証言の紙一枚だった。日本兵は強姦、輪姦・・。彼女こそ、中国人元「慰安婦」として初めて名乗り出た女性であった。
・若さゆえに災いが
P24戦時中、孟県だけで21カ所の拠点があったことから、まだまだたくさんの被害女性がいることは予測できる。
・だまされて「慰安所」に入った中国人女性 上海、南京、武漢など大都市にはもっと慰安婦がいたはずだが名乗り出ていない。日本兵と性的関係をもったことで、周りから偏見と圧力を受け、名乗り出る勇気を奪われたと考えられる。
武漢 袁竹林さん 私は今、頭痛、腹痛、下腹部痛など様々な症状に苦しめられています。病院に行けず、見舞いやお湯を届けてくれる人もいません。
日本に昔から続いてきた女性、または女性の「性」に対する封建的な社会意識・慣習や占領下のアジア女性への差別意識が働いていたと私は認識する。
中国北方地域の農村のトーチカの慰安婦、南の都市部の慰安所の慰安婦、朝鮮半島から連れてこられた朝鮮人、中国人朝鮮族といわれる従軍「慰安婦」がいた。・・かつて日本軍の性的奴隷であった点は変わらない。
参考 「ガイサンシーとその姉妹たち」[DVD]予告編 班忠義監督 2008.4
P26 強制連行中国人のさまよえる”空白の戦後”ー日本の無責任を暴露する劉連仁さんの来日ー 金子博文
被害の賠償を求めた初公判のために来日。
1946年に外務省が中国人強制連行の報告書をまとめているにもかかわらず、戦後、強制連行の事実をひた隠しの日本の行政当局。
劉連仁さん「(裁判での要求について)きちんと片付けていただくまで、私の子子孫孫まで闘いつづけるつもりです」
P28書評「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」小野賢司・藤原彰・本多勝一
評者 笠原十九司 待望の第一次資料の発掘。皇軍兵士の南京大虐殺の記録
1988「南京大虐殺実態記録訪中団」に参加したのがきっかけ。歩兵第65連隊(会津若松連隊)。小野氏は陣中日記24冊を発掘・入手。本書の眼目の一つは、南京大虐殺中の最大規模の捕虜集団虐殺(約2万人)の「鉄証」を発掘したこと・・。
・「南京大虐殺の嘘」への痛撃
戦争責任の免罪を図る旧軍人・遺族会・右翼組織・タカ派ジャ-ナリズム等が執拗に「南京大虐殺の嘘」キャンペーンを繰り返している。そんな彼らが最も恐れ警戒しているのが、「身内」の皇軍兵士による虐殺加害の証言や記録が公刊されることである。
P60 朝日と文春のための世界現代史講座7 花田問題をベルリンより考える最終回
「忘れてはならない」とはどういうことか 梶村太一郎
・原爆とホロコースト 長崎・広島のキノコ雲の下には、数十万人・・、アウシュヴィッツに移送されたユダヤ人は43万4351人、大半が到着後まもなくガス室で虐殺・・。
・オランダ人少年たちの場合
ジャワ島では、日本軍政下に、連合国民間人が男女それぞれのキャンプに分けて抑留。女性抑留所から、若い女性を選び出して強制売春に及んだのが「スマラン事件」です。日本軍の性奴隷とされたオランダ人女性の数は、65人が確認できる。実は奴隷労働を強いられたのは13歳から16歳にかけての少年たちが数千人いた。少年キャンプへ集め・。
P62 ジャワ中部のカリバンテン墓地には、犠牲となった多くの少年たちが眠っており、追悼の像が立てられている。オランダ国内にも同じものがあります。この史実に関する日本側の研究はまだゼロです。
・日本人たちよ・・
「忘れない」ということは、このような忘れ去られた自分の歴史を知るということです。
・あとがきにかえて
アルブレヒト・ハウスホーファーの詩、ヒトラー暗殺計画に加担し、44年12月逮捕され、敗戦間際に暗殺された。




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