大阪市東淀川区柴島(くにじま)大阪空襲弾痕、西淡路高射砲陣地跡、軍人墓地

2025年9月20日

戦争遺構研究会の主催された見学会(2007.9.23)へ参加した。侵略(戦争)の生き証人である遺構を設置したのはすべて市民である。
大阪市、大阪府、国はこうした戦争遺構の保全に協力いただきたいものである。
1.柴島高校平和の碑「奪われし者の叫び」の像阪急千里線柴島駅、柴島高校校門の中にある。同碑文より《1945年6月7日、長柄橋周辺を襲った第三次大阪空襲は、人家を焼き尽くし、一瞬にして四百余名の尊い命を奪い去った。母は子を奪われ、夫を戦場に奪われた妻もまた、水を求めし手を虚空にさしのべたまま息絶えた。まさしくそれは「地獄の長柄橋」であり、オオサカの中のヒロシマ、ナガサキである。
 その惨状を表現した石の樹脂像と左の「戦争の生証人」旧長柄橋橋脚の弾痕石によって構成されたこの像は1983年夏彫刻家金城実先生の指導の下、生徒達自身の手によって創られたものものである。私たちは、ヒロシマ現地調査や大阪大空襲の体験の掘り起こしを通じて「戦争は最大の人権侵害である」ことを学びとってきた。戦争は人権侵害の中で準備され人権侵害の強化とともに遂行される。私たちはこの像の前で、生命と青春と愛しき者を奪われた人びとの心奥の叫びを胸に刻み、平和と人権を守るために献身せんことを誓うものである。1984年10月28日 創立記念10周年を記念して》
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2.柴島浄水場壁面の空襲による弾痕
 柴島高校から徒歩5分くらい、阪急京都線崇禅寺駅京都よりの踏み切りを浄水場側へ渡りすぐ。10分くらい見学していたら浄水場の自働音声で「警備員が行きます、すぐに解散してください」との警告が流れる。
 同案内板より、《一九四五年六月七日、六月十三日、六月二十八日東淀川区は米軍機による空襲にみまわれた。特に六月七日の空襲は激烈をきわめ、1トン爆弾や焼夷弾が雨あられと降りそそいだ。米軍機はさらに低空の機銃掃射を繰り返し浄水場の崇禅寺駅側壁面に弾痕が約五十メートルにわたり残された。この弾痕は空襲に倒れ傷つき、死んでいった物言わぬ多くの人々への生き証人として私達に語りかけている。》
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3.西淡路軍人墓地東淀川区西淡路5丁目3
  高射砲陣地のすぐそばにある。画像の墓碑は昭和21年シベリア・チタで抑留中?に死亡、昭和19年小笠原方面で戦死とある。軍人墓地といえば真田山の陸軍墓地を思い出す。墓碑を調べても戦争の一端が判る。
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4. 西淡路高射砲陣地跡
  5月の再訪。見学会の説明会から《昭和18年高射砲陣地?完成。最初は地面に大砲があった。昭和20年6月頃地面より上に高射砲をつくった。88式7センチ野戦高射砲(全長3m)、射程1万3千m、B29にも届くが撃墜は多分せず。昭和20年7月から撃ったが(元学徒動員兵の証言)。米軍からの機銃掃射は受けていない。砲台下は待避所に使い、ふとん・畳を敷いていた。各地に同様の施設はあったが現在ではここだけに現存するのみ。砲台は6基半円状にあったが、マンション建設時に2基が撤去。現在は4基が残るが、府道の建設が背後に迫り、撤去計画がある(見学会配布の新聞記事参照)。道路は陣地周辺をアンダーパスで地下通過にしてほしい。》
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左写真車の後ろの白い建物が高射砲陣地の旧指揮所

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左は陣地の屋上にある退避壕のようなもの。

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府道が陣地の背後に迫っている。
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南京

見学会の新聞資料追加しました。