筆者の「立場」と事実の関係-裁判官のためのジャーナリズム入門講座その七

週刊金曜日24号(1994.4.29)貧困なる精神24より引用。
・発表モノを含むすべての報道対象や記録対象は、あくまで「書く側」(筆者)の価値観によって取捨選択されるのであって、無作為(アトランダム)に選ばれるなどということは金輪際ありえません。これこそ正に筆者の立場であり、主観であります。
・つまり、いかに報道対象・記録対象の選択が主観的に行われ、記者(筆者)の立場によって違ってくるものであっても、そこで書かれている内容に事実(ファクト)に誤りがあってはならず、いわんや歪曲や改竄などは許されないのです。価値判断や立場は異なっても、事実そのものに変わりがあってはならない。
・「虚偽であっても報道の価値はある」ことになります。実例をあげましょう。さきに中曽根・元首相の「アメリカの知識水準」を挙げましたから、同じ中曽根氏について
いえば「日本は単一民族国家」と発言してやはり問題化したことがあります。アイヌのような明白な先住民族をはじめ(略)これは虚偽ですが、報道の価値は大いにあります。一国を代表する責任者の発言だから、虚偽であればむしろ一層「高い価値」があるのです。
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引用記事の著作権は『週刊金曜日』および本多勝一さんにあります。


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[色:FF0099]「<佐藤優現象>批判」・金光翔/『インパクション』第160号(2007年11月10日発行)
http://blog.goo.ne. jp/harumi-s_2005/e/d 12a7ebf527e57c19a0de df5f3d3e45c[/色]