従軍慰安婦に返還されない軍事郵便貯金 週刊金曜日26号
週刊金曜日26号1994.5.20 P24~29より引用。
「お金が欲しいわけではない、私の貯金が持つ歴史を考えると、日本に置いておくのが辛いのです」。
第二次大戦中、軍事郵便貯金をしていた韓国人の元従軍慰安婦が六月初め、預金の返還を求めて提訴する。
そこに至るまでの郵政省との交渉の内容から、日本の戦後処理のあり方と、これからのアジアの国々とのつきあい方を問う。 廣崎リュウ
「慰安婦の貯金まで奪って、日本は金持ちになったのか」
アジア太平洋戦争の最中に性奴隷とされ、加えて生きるために貯えた貯金も返してもらえない。その返還を巡る交渉の席上、怒りに震えた彼女の口から発せられたこの言葉に、郵政省側も市民側も沈黙せざるを得なかった。敗戦から半世紀、郵政省との二年間の交渉をもとに、彼女の貯金の担う重い歴史を問い、郵政省=日本の杜撰な戦後処理を告発する。
一九九二年三月から五月にかけて、山口・北九州各地の市民団体が、軍隊慰安婦にをることを強制させられた韓国人、文玉珠(ムン・オクジユ) さんをお招きして当時の話をしていただいた。その際彼女から、「慰安婦をさせられながら兵隊からもらったチップを貯金していた。『お前の貯金の本社は下関にある』と軍人から聞かされた」との証言を得た。調査の結果、彼女がしていた貯金は〞軍事郵便貯金〞であることがわかった。
貯金にいたる経緯
文王珠さんは、一九二四年四月三日に韓国慶尚北道達城郡で生まれた。四二年七月、「食堂で働けば金が稼げる」とだまされ、「楯八四〇〇部隊」付きの強制軍隊慰安婦として、ビルマのラングーンに連行された。部隊の移動でマングレー、アキャブ(現シトウイ)、ブローム、タイのバンコクなどの最前線を軍用トラックで転々とした。そしてアユタヤの野戦陸軍病院で看護婦をさせられていた時に敗戦を迎え、解放された。
九〇年、「従軍慰安婦は民間業者が連れ歩いた」という日本政府の発言に、韓国の女性団体が反発。一一月には、真相の究明と問題解決のために韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が結成され、文王珠さんは慰安婦であったことを挺対協に申告した。また九一年一二月、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が提訴した戦後補償第二次訴訟の原告団のひとりでもある。
文王珠さんは当時軍人からもらったチップを貯金していたという。彼女の記憶によると、「文原吉子」名義の貯金をマングレーかラングーンの野戦郵便局で始めた。途中通帳をなくしたが再発行してもらった。故国の父母にも五〇〇〇円を送金したことがあり、帰国後、父母に聞くと送金されていたという。残高は六〇〇〇円から七〇〇〇円。通帳は四年後再びなくした。「貯金は下関の本社にしている」と軍人に教えられており、下関に寄港するという引き揚げ船に乗ったが、結局、下関には向かわずそのまま韓国に到着。今日まで引き出す機会はなかった。では、その貯金=軍事郵便貯金とはどういうものなのか。
軍事郵便貯金とは
軍人・軍属を利用対象とした軍事郵便貯金制度は、日清戦争中の一八九五年に創設され、日露戦争の勃発した一九〇四年には、「軍事郵便為替貯金規則」が施行、法制化された。その後、第一次世界大戦、日中戦争を経てアジア太平洋戦争における日本の敗戦までの間、占領各地に開設された野戦郵便局で軍人・軍属の給与の預金、支払い業務が行なわれた。(略)しかし「貯金はほとんど上官の命令」であって、総じて強制的であったとの元軍人の証言を得ている。当然の国策として「貯蓄心をがん養させる」というよりは、兵の給与を貯蓄させることにより、国家財政の疲弊を陽止し、潤沢な戦費を確保する意図があったことは否めない。
野戦郵便局は、「中国の北京、蘇州、広東、香港。旧オランダ領東インド地域ではスマトラ島。北部仏印ではハノイなど約四〇〇ヵ所に開設された」(九二年四月八日参議院予算委員会/松野春樹政府委員答弁)。敗戦時の貯金残高は、約三一五万五〇〇〇口座、約一〇億三八二〇万四〇〇〇円であった。
約二一億五〇〇〇万円が未払い (略)
貯金の払い戻しを求めて
(略)文玉珠さんは、「慰安婦の貯金まで奪って、日本は金持ちになったのか」「このお金は、私個人が体を張って貰ったお金なので、これは個人の私有財産だから、韓日関係の条約とは関係がないので返して欲しい」と訴えた。(略)
三回目の交渉で郵政局側は、「文王珠」または「文原吉子」の原簿は発見できなかったとの回答書を提示したが、調査の方法を巡って追及したところ、ようやく「類似名」の存在を明らかにした。招く会は類似名原簿の公開を要求。郵政局側は当初しぶったが、結局公開に応じた。提示された原簿預払金詞書によると、類似名とは「文原玉珠」で、四三年三月六日から四五年九月二九日までの預金高が二万六一四五円。四六年四月から六五年三月までの利息を合計して五万一〇八円になっていた。
また、調書には「(昭和)19・8・18忘失届出」の記入があり、彼女の証言と一致した。文玉珠さんは、日本植民地統治時代の除籍謄本(朝鮮総督府による創氏改名令により、「文」姓が抹消され「文原」姓が明記されている。要するに「文原玉珠」に改名されている)を提出し、郵政局、招く会双方が本人の原簿であることを確認した。
貯金の名義に彼女の記憶違いがあったとはいえ、「文原玉珠」名義の原簿の存在をひた隠し、原簿が発見できなかったとの回答書をわざわざ作成して提示するという姿勢に、この国の問題の深さを痛感させられるのである。
しかし、彼女の原簿の出現によって「軍人・軍属」と共に、「慰安婦」が軍事郵便貯金制度を利用していたことが明確になり、軍が「慰安婦」を統括していたことが、皮肉にも国側の証拠で裏付けられた意義は大きいのではないだろうか。
日本人へは積極的に払い戻し (略)
旧植民地出身者への不平等な対応
(略)払い戻し勧奨状が、日韓両国の最大懸案事項であった請求権についての取り決めで決裂するという、深刻な時期に発送されたことについて、実は次の重大を問題点を指摘せざるを得ない。
払い戻し勧奨状を発送する際、国内外の旧植民地出身者を発送対象から除外する方法として、「姓名が日本名であるがどうかを基準にした」(郵政省貯金局業務課課長補佐、田口氏回答)という。しかし四〇年に朝鮮総督府が公布した創氏改名制度により、多くの朝鮮人が日本名を強要、改名させられており、姓名を基準にすること自体問題がある。この点を指摘したところ、「払い戻したのが日本人だけとは言えない」(前出田口氏)との回答である。当然そう答えざるを得ないのである。
個人の貯金の支払いを国の都合で保管したこと自体、重要な問題性があるが、こういった杜撰な払い戻し業務によって、日韓会談の合意以前に、払われた者と、そうでない者を生み出すという、何とも不平等な結果になってしまったのである。(略)
韓国以外には支払われる
日本敗戦後、日本政府は旧植民地・旧占領各国と戦後処理条約・協定等を締結した。しかし、相手国、国民の財産、権利及び利益を一方的に消滅させる国内法を立法施行したのは、実は韓国とミクロネシアに対してだけなのである(ミクロネシアについての詳細は省く)。それ以外の条約・協定の締結国に対して、法一四四号(二六ページのコラムに詳述)に準じる国内法は現在存在していない。
従って韓国国籍者以外(無国籍を含む)からの貯金支払い請求については「支払うことになる」(郵政省田口氏回答)のである。これまで、旧ソ連国籍者(朝鮮人)一件、台湾国籍者二件に支払われた実績がある。
朝鮮は日本の胴喝的外交によって不当に日本に併合され、植民地とされた。また、強権、暴力的な植民地統治によって、人的・物的な被害は甚大だ。当然、韓国のあらゆる財産、権利及び利益が無条件に是認されるところを、逆に韓国に対してのみ国内法を施行して、権利消滅させたことの道義的責任は免れまい。
郵政省は貯金原簿を公開せよ
(略)現在まで慰安婦の実態等を裏付ける資料の発掘が各方面で行なわれているが、文玉珠さん以降、挺対協の調査で新たに三名の慰安婦が貯金をしていた事実が判明し、内二名の貯金原簿調査が郵政省内で行なわれている。また、台湾の慰安婦二名(故人)の貯金通帳も確認されている。
これらの事実からも、軍事郵便貯金原簿は、慰安婦関係の資料としては第一級の証拠資料的価値があるのである。(略)
今アジアから問われていること
(略)「お金が欲しいわけではない、私の貯金が持つ歴史を考えると、日本に置いておくのが辛いのです」と訴える彼女の貯金が、将来日本の国庫に入り、我々や次世代の「幸福追及権」のために使用されるとすれば、間違いをく「確信犯的戦後犯罪」である。私たちはそれらを問い、貯金返還のために、一九九四年六月四日に山口地方裁判所下関支部に提訴をする。また、貯金の支払いの立法化を求める動きも始まっている。
戦後補償という「うねり」の中で、個人の賃金、貯金の未払いは、「問題の一端」に受け止められがちである。しかしその「一端」を丁寧に解決する姿勢こそが、実はアジアから問われているということを、我々は文玉珠さんの言葉を通して幾度も確認するのである。
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ひろさきりゅう一九六〇年、山口県生まれ。「文玉珠さんの軍事郵便貯金の支払いを求める会」代表。「戦後補償問題研究会」の「軍事郵便貯金」の項、「ハンドブック戦後補償(梨の木舎)の「軍事郵便貯金」の項を執筆。
ーー(引用終わり、全文はこちら、ダウンロード<開く。著作権は週刊金曜日にあります)


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